米津玄師と落合陽一、いま天才が注目される理由
”時の人”であるふたり
流行はいつの時代も必ずある。
その中でも、ドラマの流行とビジネス書の流行は、個人的にとても面白いものだと思う。
ドラマは最近だと逃げ恥とか、あまちゃん、あと件のアンナチュラル。それ以降もおっさんずラブとかね。
ビジネス書だとライフ・シフト、嫌われる勇気、日本再興戦略、お金2.0とか。で、今はメモの魔力とか死ぬカスとか、日々アップデートされていてTwitterじゃないと情報が追いつかないレベル。
その中で、最近どうしても目にとまったのが、アンナチュラルに花を添える、どころではないくらいに非常に目立っている(いい意味で)「Lemon」を創り上げた米津玄師氏。
そして特に情熱大陸以降凄まじい人気を博している、正に魔法使いそのものの奇才、落合陽一氏。
どちらに対してもめちゃくちゃファン!というわけでもないが、なぜこの二人が気になるのか、ぼんやり考えていたらすぐに分かった。
簡単な話だった。
この二人は天才なのだ。
ドラマ『アンナチュラル』主題歌
米津玄師の人気は、正にうなぎのぼり。
3月14日にリリースするドラマ『アンナチュラル』(TBS系)主題歌「Lemon」のMVを公開すると、たった13時間で100万回再生を突破したという。
もともと「ハチ」名義でニコニコ動画などで活躍されていたという。
絵も描けるし歌も作れるし歌えるし、そしてそれら全てが上手い、もう何なんだこの人という感じの人。
この人が紡ぐ言葉は、特に若い世代に刺さる。理由はたくさんあるのだろうけど、私は「何となく心につっかえているもの」を絶妙なメロディーと言葉で表現されているからじゃないかなと思う。そして、米津玄師自身が抱える葛藤や苦悩みたいなものに、音楽と絵画の力が普遍性を持たせてくれている。
自分を表現すること。それがなかなか難しいんですよね。
就職活動とか、SNSアカウント、You Tube、Tik Tokとか、とにかく自分を表現する場が増えたのが現代社会。それはある人にとっては素晴らしいことで、またある人にとっては苦しみでしかなかったりもする。その結果どうしたらいいか分からなくて、自分の代替を探すことになるんです。常に探していなくとも、私たちは無意識的に自分と同じ感性の「誰か」を求めているのだと思う。
何となく、彼の作品はそういった「心の声」を代弁してくれるような、そんな感じがしてしまうのです。そしてそれゆえに、一層魅力的なのです。
↑「Lemon」ジャケット。色合いが絶妙過ぎる
もともとニッチなところからスタートして、メジャーデビューして民主化していくような感じ。アニメ映画の主題歌も良かったけど、やっぱり観る層は限られてくるから。人気ドラマの主題歌まで来たら、もっと多くの人の注目を集めますね。それがまさに今。
ミュージックにおける、創造の天才。誰でも出来ることじゃない。天才と思わせるには十分すぎる人物。
「現代の魔法使い」がいるらしいよ
いまネット見てる人でこの人を知らない人は、いないのでは・・・
というレベルで人気上昇中。
とにかく経歴からしても凄すぎて、地頭では絶対に凡人には叶わんと思わせてしまう人。
◆おちあい・よういち/1987年生まれ。
筑波大准教授、学長補佐。メディアアーティスト。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。IPA(独立行政法人情報処理推進機構)認定スーパークリエータ。BBC、CNN、TEDxTokyoをはじめ、メディア出演多数。超音波を使って物体を宙に浮かせ、三次元的に自由自在に動かすことができる「三次元音響浮揚(ピクシーダスト)」で、経済産業省「Innovative Technologies賞」を受賞。2015年には、米the WTNが世界最先端の研究者を選ぶ「ワールド・テクノロジー・アワード」(ITハードウェア部門)において日本からただひとり、最も優秀な研究者として選ばれた。〈現代の魔法使い〉の異名を取る。
※落合陽一・著『これからの世界をつくる仲間たちへ』より
グミ食べたりとかカレーをストローで食べたりとか、変人っぷりも注目されてますが。実際それくらいしないと、きっとこれだけの結果を出すほどの身体の使い方が出来ない。
努力もあると思うし、パーソナリティ的な部分もあると思うけど。その行動と思考が、多くの人よりも奇抜で的確で素早くて実証性が高いので、本当に「魔法使い」みたいだと言われるんですね。
社長で研究者で教育者でアーティスト。印象として「社会に貢献したい」気持ちがもの凄く強いですよね。
自分が出来ることで、社会をより良い方向へ進めていこう。次の世紀を作っていこうって。知の使い方を上手く活用できている人だと、感服します。
そんな落合陽一氏も、やっぱり創造の天才。科学だけにとどまらない。新しいビジネスの創造、新しい提言、アートの創造。全て「つくりだす」ことに特化していますね。
生産する側にまわりたい、という声なき声
そんな二人に共通するのは、生産する側の人間だということ。
モノやコトを消費、あるいは浪費する人ではなく、自分が作る側にまわっている。
現代は、そんな”生産する側”に立てる機会なんて、ゴロゴロ転がっている。はずなんです。インスタで絵を描いていたらなんか書籍化しちゃったとか、noteで稼いでいますとか、気づけばTwitterのフォロワーが増えてPRの仕事が来た、とか。
そんなことがありえなくない、今。
「じゃあ私はどうしよう?」と考えさせられることも増えた。
もちろん、自分の「好き」を極めれば、もしかしたら新しい道が見えてくるかもしれない、誰かが振り向いてくれるかもしれない。
だけど生産する側って、リスクも高い。
バッシングや誰からも注目されないのではないかという不安、無意味にお金だけ浪費していく感覚、孤独感とか。そして何よりもめんどくさいしね。
そういうものを乗り越えて、果たして自分も生産する側に立てるのか?
そういったことを喚起させるような気もする。
天才の存在は、凡人にとってありがたい。
「この人は私とは住む世界が違う」と考えることは簡単だし、その人が「勝手に世界を良くしてくれる」と考えることは、ベッドでスマホを眺めながらでもできる。
『あなたも生産する側に立って、一緒に世界を良くしていこう』
その声に応えたくても、一歩が踏み出せない。そんな不安とぎこちなさを感じる人が増えたことで、こういった奇才に注目が集まるようになった。そんなような気がするのです。