日々のブログ

Un Chien Andalou

「お金がない」感覚が人に最もストレスを与えるのではないか


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私の感情を体現した表情のねこである

 

生まれた家庭の経済力というのは、ある程度人格形成に影響を与えるはずだ。やっぱりお金持ちの家庭で何でも買ってもらえた人と、「節約しなさい」と言われ続けて育った人とでは、根本的に感覚が違う。

 

 

 

私は後者なのだが、幼い頃に言われてきた「うちは貧乏だよ」という呪縛が結構今でも残ってしまっている。

 

 

 

貧乏、といっても普通に暮らしていたわけで。ちゃんとお家もあればTVもある、パソコンもあるし洋服とかも揃えていた。だから、よくテレビで紹介されてるような、(昔の芸能人が)本当にボロいアパートで食事もあまりとれなかった、というようなエピソードには驚愕される。かねちとか。

 

 

 

そう、一般的なよくある家庭。一軒家のローンはあるし子ども二人の学費もあるけど、まぁめっちゃ貧困とは形容しがたい家庭だったはずだ。

 

 

 

だけど、それを維持できていたのは当然親たちの努力の賜物だった。子どもにとくにお金がかかる同じ時期、父は50代後半から60代あたりの年だったはず。中卒だし頭もそんな良くないけど、実直に働いていた。母も同じく働いていて、それぞれが真面目に生きてきたからこそ、ここまでの生活水準を保つことができていた。

 

 

 

だから、私は恵まれている。とても。ものすごくお金に不自由をした訳ではないし、今だって人並みに稼いで一人で暮らせている。そう、なのだが。

 

 

 

なんだろう、どこかで「お金がない事の恐怖」を感じてしまうようになった。もし、私がちゃんと働いて稼げなかったら…と考えると、親のことも大切な人も自分も誰も守れない。自分自身の目標だってどんどん遠くなっていく。

 

 

 

この、お金を喪失した未来を想定してしまう病、何とかならないかなと思う。貯金が貯まるとか、堅実とかそういった意味では素晴らしいのかも知れないけれど、実のところとてもストレスフルなのである。

 

 

 

お金に限らず、個人的に考え方の癖として「最悪の未来を考え、それを阻止するためにどうすべきか」というのをつい考えてしまうようだ。ネガティブ、とは少し毛色が違う。臆病と呼んだほうがまだ適切かな。

 

 

 

例えば、先の親の話もそうだ。「家庭内で誰かが病気になったとき、ちゃんとお金を出せるような社会人であろう」と、学生時代はいつも焦ってしまっていた。でもいざ社会人になったら、親の体調も良くなってきて「あれ?、なんだ大丈夫だったわー」というのが現状である。

 

 

 

お金や、大切な人を失うことに対して、臆病。

 

 

 

でもそれって、多くの人が大なり小なり感じているものなのではないだろうか。

 

 

 

この心臓だって、いつか終わりが来る。頭では理解していても、何かを失うことの恐怖からどう逃れればいいか、とても難しいように思う。

 

 

 

いつかきっと失う。だからそれまで、精一杯やろう!でもいいのだけど、そう考えづらい人もいる。

 

 

 

一瞬一瞬を大切に積み重ねて生きていけば、本当に失うものはないのかもしれない。あるいは、本来的に自分は何も所持していないから、"失う"という感覚はおかしいのかも知れない。個々人が持っているこの肉体も、入れ物かもしれないし。

 

 

 

そういうふうに、から元気じゃない考え方に変えていけば、すこしだけ肩の荷が軽くなる気がしている。

 

 

 

将来のことを考えたりすると、そりゃ不安だけどさ。恐れても恐れなくても同じようにときは流れていく。だから、少しでもラクに、あなたは素晴らしい人だよって、自分や周りの人に伝えるのを忘れずに、過ごしたいんです。


あなたとの出会いにありがとう。またいつか。