陸に乗り上げた船を撮るカメラマンと、14歳の少女の話
被災地へ行ったのは5月のことだった。関東と違ってまだ肌寒く、やけに風が強い日だったことを覚えている。
私の身内に死者はいなかった。だけど、街全体を覆う悲しさと死の香りに、胸がふさがる想いだった。外部から来たものでさえそう感じるのだ。そこに住んでいた人たちのことを考えると、もっと苦しくなってしまった。
泥だらけの瓦礫は少し乾いていて、木材がむき出しになっていたり、ガードレールが横倒しになっていたり、屋根があったり、車がひっくり返っていたり、電信柱がぽっきりと折れていたりした。よく見ると冷蔵庫やランドセルなど、生活感のあるものも溢れかえっていた。ざぁっと風が強く吹いてビニール袋が舞い上がった。
少し進むと、船が乗り上げていた。仮設住宅もその船も全部テレビでみていたけど「あぁ、本当なんだ」と改めて感じた。
私は、去年初めて買ってもらったピンク色のガラケーを握りしめて、車から外の景色を眺めていた。当時はiPhoneが大衆化する前だったのだ。私がこの景色を記録に残す方法は、この二つ折りの機械を使うしかなかった。
ふとそこに、一人のカメラマンの姿があった。男性だろうか?立派な三脚を立てて、船をまっすぐに捉えている。本格的なカメラを初めて見た。レンズが飛び出ていて、とても大きいカメラだ。
「あぁ、写真を撮ることは私の役割じゃないんだな」。
その時、直感的に感じた。ただただこの景色を瞳に焼き付けよう、と思って車の外を見つめた。涙は流してはいけないような気がした。言葉は見つからない。
きっと、高性能なカメラ付きスマホを持っている今でも、同じ選択をしただろう。目の前に広がっているのは、「カシャ」という機械音だけで何かを壊してしまいそうな、どうしようもなく無力で脆い世界だ。
私はカメラが少し怖くなった。いや、本当はカメラが怖かったのではないのかもしれない。その空気感か、石油の匂いか、瓦礫か。とにかく全てが怖かったのかもしれない。だけど、そのときは確かに、カメラというものが怖くなったのだ。
コンビニで1,000円の寄付をするだけの自分は無力だなと思った。「ここ」へ来ても、大して何もできないし、怖がっていただけだ。ただ、必死でこの景色を理解しようと目を見開いていたことは覚えている。そしてそれは、これからも忘れることはないだろう。
嫌な記憶とか悲しい記憶とか、そんなものはたくさんある。そういうのは出来れば忘れたいものだと思うし、実際に忘れてしまったものだってたくさんある。
けれどあの景色は、忘れられる類のものではないのだ。
脳の裏に張り付いて剥がせないんだ。
「忘れない」という文脈じゃなくていい。忘れられる人は忘れてもいい。自粛も同情も、多分しなくていい。だって、だいじょうぶだよ。決して忘れられない人たちは、必ず何処かにいるのだから。
2019.3.11