日々のブログ

Un Chien Andalou

「精神年齢が高いことがつらい」大人っぽいけど大人になれない自分について考えた


他者が思う自分と、自分が思う自分と。そのギャップに苦しむのはもはや人生を通した試練ではないかと思う。

 

 

私が他人からよく言われるのは、「落ち着いてるね」「大人っぽいね」「仕事できるね」「容量がいいね」「お金持ちっぽい」「バイオリン弾いてそう」、などの言葉。20数年生きてきて、自分は育ち良さそうに見せるのが得意なのだと勘付いてきた。

 

 

一方自分が思う自分は、地味で根本的にネガティブ、考えすぎでガードが硬すぎるし、その割に行動力を発することもたまにある謎の女といったところか…。自分が一番、自分を知らないし理解できていない。ごめんな、私。

 

 

親が高齢なこと、きょうだいが年上なこともあり、だいたい目上の方と話しが合う。今だったら、30代前後の方がベストだ。

 

 

 

そんなこんなで、同世代を理解するのには時間がかかる。年下はなおさらだ。やっぱり考え方が違う他人の存在はモンスターである。自分の中で論理立てないと、そう簡単に理解する事はできない。

 

 

 

ある日、「自分は精神年齢が高いのだろうか?」とふと思った。精神年齢と実際の年齢とが合致していれば、わりと同世代とも話が合う…のでは?と。

 

 

 

ここで大事なのが、「精神年齢が高い=すごい」などでは決してないということだ。ググってみると、精神年齢を高くするには?みたいな文が出てきたりするけど、別に無理して高くする必要はないんじゃないかなと思うし、高けりゃいいなんてはずがない。

 

 

 

自慢でも驕ってるわけでもなくて、実年齢と精神年齢が乖離していると、やっぱり辛いんじゃないかなと思うのだ。

 

 

 

同世代と話が合わない、くらいならいい。自分と合う年上の人と付き合えばいいのだ。だけど、実年齢にともなってライフステージも変わっていく。どうしても、わかり合えない部分は必ずあるし、「同い年なのに‥」と結局自分も年齢を軸に考えてしまっていたりして、自己嫌悪になったりもする。

 

 

 

きっと大人びて見える多くの人が、好きで大人っぽくなってる訳ではないだろう。そうならざるを得ない家庭環境だったり、生活環境、他者の存在があったはずだ。ひとりでに成長なんてできない。

 

 

 

とは言え人は見た目が100%、までは行かなくとも大体が見た目や年齢で判断される。その中身を見てくれる人は10人に一人くらいだ。(悪いことではなくて、そのくらいで丁度いいのだと思う)だから見た目が若い20代くらいのうちは、「若いのに大人びてる」的な言葉をよくかけられる。

 

 

 

そもそも、自分でさえ自分を理解できていないのに、100%他人に自分を理解してもらおうというのは不可能な話。そんな前提は分かっているのだけど、それでも理解し合いたい願いが捨てきれずにいるし、それが人というものだろう。(それとも、違うのかしら)

 

 

 

レッテルを貼らずにいたいと思ってるがゆえに、レッテルに縛られてしまうのかな。ジレンマだ。ハリネズミ的なジレンマ。

 

 

 

「精神年齢も、実年齢も関係ない」

 

 

そう思えるまでまだまだ時間がかかりそうだな〜、なんて思ってしまうほどに、結局私はまだまだ子どもなのだ。


あなたとの出会いにありがとう。またいつか。