アンダルシアの犬

Un Chien Andalou

誰も見下したくなんかないのに


あなたはこういう人だ、と決めつけられることに耐えられない。「これ、好きそう」とか「そういうの得意そう」とか、そういうのも嫌いだ。

 

 

 

思うにこれは、他人に簡単に理解されたくない気持ちの表れだと思う。私のことなんかちっとも知らないくせに、と。分かった気になって言葉にしてくる人に耐えられない。例え、それによって本当に理解を促進していたとしてもだ。

 

 

 

だから私は、他人を決して理解できないことを念頭に置く。あらゆる可能性を残しておいて、ラベリングしないように、丁寧に丁寧に相手を見る。言葉にするとなんか怖いけどね…笑。

 

 

 

他人に自分を規定されることが、心地良いと感じる人もいるはずだ。どこへ行けばいいのか、道標があって欲しいと願う人はいるだろう。そして同時に、それに耐えられない人もいるということ。道標なんてなくたって、自分で道を決めたい人だっているんだ。

 

 

 

「あぁそうですか、あなたからはそう見えるんですね」と一言で線を引いて、関係ないと割り切れればいいだけの話だけど。それがとっても難しいのである。

 

 

 

ラベリングされたとき、私はその人を見下してると思う。「こいつ、見た目しか見てねぇ」とか「表面上だけの会話しかできない人だ」とか。そういうとき、自分の一番嫌なところが見えて、それがまた私の機嫌を悪くさせる。

 

 

 

なんて性格が悪いのだろう、と思う。

 

 

 

頑張ってSNSで発信してる人を見ているとき、クラウドファンディングをしてる人と出会ったとき、夢を叶えようと行動してる人を見かけたとき。

 

 

 

そういうときも、私はどこかで彼ら彼女らを見下している。見下すという言葉が正しいのか分からないけど、とにかく"自分の人生の外側の人たち"と認識してしまうのだ。ほら、自分だって結局はラベリングしてるんだ。

 

 

 

誰も見下したくないのに、こんな感情抱きたくないのに、心と反して自然と湧き上がる抗えない衝動のようなものがある。

 

 

 

感情を手放したい、でも。難しいな、生きてくのは。こんなやつ、と思えば思うほど、私の中でその人に対する気持ちが量的に増加していく。

 

 

 

それらが愛とか親しみとか、そういうものの裏返しであって欲しいと。心の底から願ってやまないけれど、それも只の善人の仮面なのかも知れない。


あなたとの出会いにありがとう。またいつか。