災害のときに痛いほど分かる、人がそばにいる幸せ
2018年に関西を襲った台風21号は、深い爪痕を残していきました。私は関西にいたのでこの台風が主な関心になっていますが、2018年という年は、酷暑、豪雨、台風、地震と災害に見舞われまくった年だと認識されて良いのではないでしょうか。
台風21号が近畿地方に直撃したころ、私はちょうど関西にいてインターンシップに参加していました。が、この台風の日はもちろんお休みで。朝方は「別に何ともないんじゃね」とほざいてましたが、夕方16時くらいには停電…そのまま2日間は停電したままの生活でした。
いやね、もう…こわかったっ・・・・・・!(泣)
まず、自分の家じゃないんですよ。実家は関東にあって休みの間だけ関西のゲストハウスに泊まっていました。もちろん環境に完璧に順応していない状態です。駅とか職場の場所は分かるけど、ねぇ・・・。ご近所とか分かんないし、「JR○○線」とか言われても、「ん?????」となってしまうんです。山手線だったら分かるんだけど!みたいな!
そんなアウトサイダーな感じだったので、ますます心細い。友達というか、知り合いは居るけどさ…家族とも離れていたので、とても寂しい思いでした。特に停電した初日の夜。
トイレ行くのも暗くて(iPhone持参)、つーか懐中電灯ないし!(非常用のグッズのありかもよく分からない)、スマホの充電ガンガンなくなってくし(モバイルバッテリーも切れる)、Wi-Fiないし(これは無論)、IHだからお湯も沸かせないし(ガスがよかったぁぁぁぁ)、いつ復旧するかも分からないし(関電さん頑張ってくれたみたいでありがとう)、暑いし(どうしようもない)。
とにかく、怖かったです。あぁ、電気って大事なんだな…と、本当に感じた瞬間でした。温かいごはんって、当たり前じゃないんだなって。
でもでも、やっぱり1番感じたのは、「誰かがそばにいてくれること」のありがたさでした。
あぁ、あなたがいて、私がいる。それって素晴らしいことで、どんな状況にあっても揺るがないこと。人が存在しているだけで価値がある、なんて普段の生活では思えないじゃないですか。「私、存在しているだけで、えらい!」とか。少なくとも私はあんまり思えなくて。「恵まれているから、もっと頑張ろう」とか「自分がやりたいこと、出来ることはなんだろう」とか、考える。
でも実は、人って存在しているだけでなんというか、どうしようもなく素晴らしいことなんですよね。その素晴らしさは、例えばクリエイターの方々が協力して一つの舞台を作り上げた、みたいな素晴らしさとは毛色が違っていて。太陽が花に笑いかけて、花は逞しくコンクリートの上で鮮やかな花びらを開いて佇んでいる、みたいな。そんな自然な感じの素晴らしさ。
あぁ、あなたがいるだけで、私がいるだけで、きっと何か素晴らしいんだ。
うまくいえないけれど、でもきっと、絶対に、素晴らしいことなんだ。
人って一瞬一瞬に心臓を動かしていて、本当にじんわりとあったかいんだ。
災害が起こると、否応なくそのことが思い出される。日常があるということは、ときには痛いくらいに幸せなんだって。
”そばにいる”って、別に物理的でなくてもいい。ただ、自分の傍に誰かの存在を感じるだけでいい。「そばにいてくれてありがとう」なんて、もちろん言葉にして伝えられたらいいけれど、心の中でつぶやくだけでも全然いい。
そう思える人に出会えたことに感謝して、もちろんあなた自身にも感謝して。そうして私も明日を生きていこうと、強く思っています。そんな学びを与えてくれた、私の中でもずうっと記憶に残るような、災害でした。
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北海道はまだ復旧が進んでいないと言います。被災されている方に、少しでも前向きになれるようなメッセージが届きますように。