「あそぶんがく」を知っているか?
みなさん、本を読むのは好きですか?私は好きです。母が本の虫で毎日何かしらの本を読んでいるのを見て育ったためか、気付いたら読みたくなるんですよね。
一応大学では文学部に所属していたのでほんのカケラくらいは文学の知識があるような気がするけど、文学部だから文学を学ぶという訳ではないのが現実なんですね。文学部とは、文系のさまざまな分野を包括的に一括りにできるマジッワードになってます。ちゃんぽんです、ほんと。
「くそっ!文学部なんて社会に出てどう役立つんだ一体??!」と思ったこともあります。この手の議論はよくされてますよね。
やっぱ「大学でビジネス学んでました!」って人見ると、今でも「アッ…(すごい)」って思うし。「文学学んでたって…えーと、シェイクスピアとか?」みたいな感じの反応されることが多くて。すまん、あんまり分からんシェイクスピア…!ロミオ、とか…しか分からん…!
なかでも、すごく驚いたのがあそぶんがくという言葉です。初めてその言葉を知った大学1年生の時、えっ、なにそれ…?って思いました。
簡単に言うと、文学部のヤツは大して勉強もしなくてぬるま湯に浸かって遊んでばっかいるから、遊び人ばっかで、あそぶんがく。
検索してみると意外と出てくるので、有名なワードなの、かも?
でも文学部に所属してる者からすれば、そんなこと言われてもな…とか思ってしまったよね。
結局のところ自分は文学的なことを大学で学ばなかったのですが、なぜかよく文学作品を読むようになりました。
いや、めっちゃいいよ文学…!!!
うん…!
ぶん、がく…!(言葉にならない感動)
文学作品は難しいので、ビジネス書と現代小説とを交互に読んでます。でも何か、ビジネス書読んでも薄っぺらく感じるんですよね。ビジネス書批判をしたいのではないのだけど。
文学作品は、書いた人の人生、時代背景、伝えたいこと、翻訳者の意図みたいなのが複雑に絡まっていて、素敵だと思う。日本文学は日本文学で、その時代の軌跡みたいなのを感じるし。回りくどく言っちゃう日本人らしさとか、うまく表せないもどかしさとか、そういうのも読んでてじんわりと沁みてくる。
歴史的なものを鑑みると、活字表現における最高峰が文学なのではないだろうか。人間が生み出した、知的表現活動の最たるもの。
そして、いまこの瞬間も文学作品は生まれている。印刷技術、情報通信が発達して、簡単に文字を表現できたり、伝えたりできるようになってしまっても、変わらない。
変わらないのは、私たちはただ活字を追う作業をずっとずっと、続けてきたということだ。
それはどんな偉人だって同じ。どこに住んでいても、何語を話していても、変わらない。
活字を読むという行為が見えない心を動かして、その人の人生を変えたりする。違う言語で読めば、違う印象が残る。
亡くなった人の文章を読むとき、もはやその人の意図を知ることは不可能だけど、図々しいくらいその人のことを考えてしまったりする。同じ思想を抱いていて、身近に感じたりする。本当は、途方もなく遠い存在だとしても。
不思議だ。
文学って本質的に哲学的で、理解できないものがあるからこそ、美しく感じられるのだと思う。
そんな美しい作品たちを学ぶ、文学部。
悪くないなと、思うんですが。どうでしょう?