ミネラルファンデで人生がミネラルになった話
ミネラルという言葉はとても便利だと思う。
なぜなら響きがとてもヘルシーで、耳に響きがよく、無垢な印象を与えるから。
ただの「水」を「ミネラルウォーター」とするだけで、なんとも言い難い透明感を連想させられます。
そんなミネラルの魔法にかかったモノの一つが、ファンデーション。
もちろん、「ミネラル」と「ファンデーション」を合わせたものなんだけれど、これがどうしようもなく良い。
ことの発端は節約でした。
化粧品にかかるお金がなかなか凄いんですよね。ほぼ毎月、何かしら減るので出費が痛い…。化粧水買い足したと思ったら乳液がなくなって、買い足したと思ったらクレンジングがなくなって、買ったと思ったらボディクリームがなくなって(エンドレス)
で、ふと購買頻度の高いクレンジングを買うのをやめてみよう!と思い立ち、クレンジング不要のミネラルファンデへ移行。(石鹸だけで落ちる)
ポイントメイクをちょちょっと落としたら、石鹸で顔洗って、終わり。めちゃ楽。しかもクレンジング減らないー!すばらしい!
悟りを開いたようなわが母(63)が、もう石鹸で落ちるものしか顔につけてないのもうなずける。これは離れられない。
昔から、カバー力が高いものを中心に買ってたけど…。
素肌に近い状態で、紫外線カットして、綺麗に保ってくれるのがベストかもしれない。なんだかんだ、すっぴんが綺麗じゃないと意味がない。
「マット」とか「ツヤ肌」とか「ふわふわ」とかとか、謳い文句にようやく騙されなくなってきた、のかな?(笑)
カバー買わないとなぁー!
私は私が創り上げた「普通」になりたかった
就職活動という、自分の人生を見つめ直す時間が与えられているなんて。なんて幸せなんだろうと思っている今日この頃です。
で、そのおかげで幼少期から大人までのいわゆる「自分史」を振り返る機会が多かったんです、最近。人に歴史あり。
そこで気付いたのが、私は「普通の人」にあこがれてたんだなぁということなんです。
「普通、こうするでしょ」
例えば、キラキラした高校生に憧れて。カッコよく踊っている先輩みたいになりたくて、ダンス部に入っていました。それは自分の中から出てくる欲ではなく、外部への憧れからきているものだったんですよね。
キラキラしていないと、置いていかれるような気がしたんです。だから、普通の高校生にならなきゃって思っていました。
本当は、美術部とかが合っていたはずで。今アートに関心があるのは、当時自然と感じていた”焦り”のせいで自分の興味に素直になれなかった結果、戻ってきたものなのかも知れない。
そして大学生になったらなったで、遊んでいる人が大半で。私は身近に大学生がいなかったので、大学は未知の存在でした。勝手に、すごく頭が良くて、もの凄く勉強するのかなって、思っていました。親が大学に行けなかった世代だから、羨ましいって言われて。
でも、予想していた「普通」は、「普通」じゃなかった。
多くの人がサークルに入って、バイトして、授業は寝て。
遊んでいるのが「普通」なんだ、そう思ったら、遊ぶ気はなくても遊んでいないとおかしいんじゃないかと考えてしまう。
「真面目だね」「意識高いね」その言葉が私の”普通じゃない”部分を強調しているみたいで、すごく嫌だったんです。
「普通」という虚像
”マイノリティなんていない”
そんな主張をTwitterで見かけたこともあります。
マジョリティ(=普通)はこうだから、こうしなきゃ。なんて、本当は考えなくても良いんですよね。
でも幼い視点からだと、自分以外の出来る人と比べてしまって、その人が世の中の大多数なんじゃないかって考えて、不安になってしまう。
そして気づいたら、「普通」のクオリティ上がっていた。
健康に生まれて、健康に小学校に通い、しっかり学びながら中学校へ。高校で楽しく過ごしながら受験に合格。大学を出たら企業に入って、しばらくして結婚して、子どもを産む。そして働くなりなんなりしながら、育児と自己実現を目指して暮らして、死ぬ。
こうやって、普通を追いかけていくのって、正直すごく辛い。無駄な使命感に縛られて、レールに乗れなかった時に自分の無力感を感じてしまうから。
"普通"が主語になるってことは、外部対象から自分の歩む道を進むことかも知れない。
もちろんそれで良い場合だってある。その方が良い、って人がいたって構わない。
でも、私はそうじゃなかった。
普通はどうだっていい。
本当は、「私は」こうなんだって、言いたかった。
そのことに気づかずに、ごく自然と他者と自分を比べて、社会の空気を読んだつもりになって生きていた。
だけど。
自分のキャリアを決めていく段階になって、普通を追い求める意思決定は、私にとって苦しいものだと分かってしまったら。
もう周りを意識するのなんて、馬鹿らしいと思えてくる。
きっとこうやって、私たちは本当の自分を、見たくない自分の姿を、知っていくんだろうだなぁって、思ったりした。
【タリーズの逆襲】近年オシャレになったコーヒーショップの裏側
タリーズコーヒー、最近増えたと思いませんか?
「あれ、こんなところにタリーズがある…」
と、前まではスタバかドトールしか注意してみてなかった私ですが、気づけばタリーズを見かけることが多くなっていました。
そして最近はパソコンをいじるようになってWi-Fi環境が必須となった今、もう外ではタリーズかスタバを探すのが定番となっています。そして個人的にはタリーズの方がフードが多いので、タリーズ率高めになってます。スタバはちょっと意識高すぎるわという人に最適。
果たしてこれが大人になった証拠なのか、それとも子供のころはただタリーズに気を配っていなかっただけなのか、事実としてタリーズが台頭しているのか…
ちょっと気になったので、タリーズコーヒーについて調べてみました。
タリーズコーヒーの歴史 in USA
1992年、米国シアトルにて創業。なんとスタバと同じシアトル発のコーヒーショップ。そしてスタバに次ぐ第2位の売り上げを誇るんだとか。
スタバの真似のような形で始まったタリーズ。スタバに隣接する店舗展開をしていたらしいです。(ほんとか…Wiki)それを表す驚きのジョークが。
「タリーズコーヒーを探す最も簡単な方法は、スターバックスの前に立ち、あたりを見回すことだ」というジョークがよく言われる。
スタバに対抗心メラメラのタリーズ。日本とは別の法人みたいですが、なんと2012年に倒産しています。まじか。日本法人への影響はなかったみたいですが…。
競売の結果、アメリカの俳優が920万ドルで落札。競合の『シアトルズベストコーヒー』もスタバ傘下に入って、ますます競争してたんですね。
タリーズコーヒーの歴史 in Japan
日本では、伊藤園の子会社がタリーズをやってます。あの伊藤園です、「お~〇お茶」の。ええ。
日本法人創業者の方が交渉して、営業権を獲得。タリーズ1号店は1997年の8月7日です。…タリーズよりも私の方が年上なのか…おおぅ。(ということは、コナン君と同い年くらいですね。)
翌年1998年にはタリーズコーヒージャパン株式会社を設立。2001年に上場(ジャスダック)、2002年に持株会社に移行しています。で、2006年に伊藤園に譲渡。
ちなみ当初のタリーズのターゲットは、25歳以上の世代なんだとか。確かにスタバの方が若いイメージがあります。女子大生が「スタバの新作!」と言ってインスタに上げるみたいな。
スターバックスは1996年に日本に出店しています。
日本で完全に独立して運勢をしているのではなく、はっきり米国法人のブランディングや意図が汲み取られている点が少しタリーズと違うところでしょうか。
売り上げは大幅増
やはり売り上げは伸びてますね。
タリーズは、スタバカードに対抗して(?)タリーズカードも作っています。
このように、デザイン性に目を付けて『おしゃれである』イメージを付けさせるのは、まさにスターバックスの後追い、というような印象を受けます。それが良い悪いの話ではなく。
スターバックスはフラペチーノがプレスで売り出すメインの商品となっていますが、タリーズにはフラペチーノの概念はありません。
また、パスタなどの商品はスターバックスにはありませんし、客の入りにも違いがあるように感じます。タリーズもスタバ同様、電源&Wi-Fiが整っていますが、スタバの方がMac広げて長居する人が多いイメージ(勝手)。
実際問題、スターバックスにはないものをタリーズが持っているからこそ支持されるのでしょう。
真似をしたから悪い、のではなく、模倣した先にどう工夫するか。それでビジネスの明暗が分かれていくのかもしれません。
嗚呼、コーヒーが飲みたい。