「自分を信じる」ことを諦めた心地よさ
とても暖かい日が続き、ついに半袖を引っ張り出してしまいました。日が昇るのも早くなって、なんだかすごく嬉しくなってしまいます。
私事ですが、最近生活が一変しました。
学生から社会人になって、一人暮らしを始めて。研修を受けたり、歓迎していただいたり、新しい仲間、上司と出会ったり。日々が目まぐるしく、儚いからこそ美しく過ぎていきます。
そんな中で、最近すごく感じることがあるんです。それは、ありきたりですが「人に恵まれている」ということ。
これまで本当にたくさんの人と出会ってきました。もちろんあなたもそうだと思うのですが、私はちょっと自慢したくなるくらいに、これまで出会ってきた人たちが大好きなんです。
起業したたくさんの社長たち、親を知らずとも立派に家庭を持っている女性、日本文化に嫌気がさして海外でのびのびと生きている通訳者、看護を学ぶためにNPOから学校へ進んだ女性、大企業で自己実現させた人、自分らしさを求めてフリーランスになった人、つまずき迷いながらも周りを支え続けるアーティスト、自分の過去を繰り返さないために団体を立ち上げた学生、…。
挙げたらきりがないですが、私は本当にたくさんの人に支えられてきたんだと、今になってすごく感じます。それは仕事中にも感じますし、暮らしの中でも感じます。
彼らにとっては、私を支えるつもりなんてないでしょう。でも私にとっては、彼らの価値観に触れ言葉を交わしたことが、経験として積み重なって、大きな優しい支えになっています。
自分に自信がなくたって、私は彼らのことだったら、本当にすてきな人たちだと胸を張って言える。そう気付いたとき、自信を喪失してもなお、「自分を信じなきゃ」と焦っていたのが馬鹿馬鹿しく感じられました。
私はなかなか自信を持つのが苦手で、そのことで自己嫌悪に陥ったりもするのですが、別に「自分を信じられなくてもいいや」と思えたんです。
自信を持ち続けられる人なんて、きっと居ない。周りと比べて上を見上げればきりがなくて、そして下を見下ろしてもきりがない。それは、自分1人で立っていると錯覚するからそう見えてしまうのかもしれません。
自分を信じれないなら、これまで出会ってきた人たちを信じてみる。1人で前を向くのではなくて、横にいる人たちの笑顔をもう一度見つめてみる。惹かれたものの力を信じてみる。その方がずっと幸せだし、ずっと力が湧いてくる気がする。
自分を信じられない自分に絶望することをやめて、他人を信じられる自分に胸を高鳴らせて。そうやって生きていきたいなと思った、社会人1年目の春です。
"活動休止"がファンをぬか喜びさせるワードになりませんように
新年度早々、とんでもないニュースが入ってきたのでびっくりしました。ヴィジュアル系ロックバンド、ジャンヌダルクの解散です。
正直私は世代じゃないし、たまたまブラックジャックを読んでいてYouTubeか何かでジャンヌダルクの「月光花」という歌を知って、少し曲を聞いたくらいです。ファンクラブにも入ってないのでめっちゃファン!とは胸を張って言えません。
でも。
彼らの生み出す音楽が、すごく好きでした。それは年代とか関係なく、「いいもの」はずっと「いい」のだと感じさせてくれました。
いくら一昔前のものでも。いつ聞いても、色褪せないものがある。それを感じさせてくれたバンドです。
それが、12年の休止を経て、解散。
そう、私がジャンヌダルクを知った時にはもう、バンドはとっくに休止していました。確か2007年には休止をしています。
そして本当は、今年でジャンヌダルクはデビュー20周年だった。そんなタイミングで、この発表です。
正直、ファンがとっても不憫でなりません。私も一ファンですが、別に青春を共にしてないし、深く長い思い入れがあるわけじゃない。でもTwitterやfacebookを見ていると、やっぱ多くの人が彼らの復活を信じていたことがよく分かります。
「"解散"じゃない、"休止"だ。次またレベルアップして再開するための、準備期間だ」
その言葉は、ファンを勇気付け、心の支えとなるでしょう。でも、それが達成されなかったとき。それこそ裏切られたような、言いようのない悲しさが生まれるのが普通なのではないでしょうか。
もちろん、いろんな事情はあります。それぞれライフステージが変わったりとか、怪我したり、方向性が合わなかったり。その調整をして再スタートを切ることが、容易なことではないのは明らかです。
でも、一度発した言葉には。
一度した約束には。
大きな責任が伴います。
結局無理ならもうそれ以上優しくしないで。なんて、彼らの奏でる歌のようなフレーズがつい思い浮かんでしまう。
これから休止が決まってるグループもありますよね。もう休止しちゃったバンドも。彼らがどんな決断をするか分からないけど、"休止"という言葉でぬか喜びさせて、ファンクラブで儲けて、最後は自然消滅、なんて事態に陥らないことを願います。
短い期間だったけど、好きなバンドでした。これからも聞きます。苦しいけれど、信じていた人全員で、また新しい一歩を踏み出したと願って。
言葉に「重さ」はあると思いますか?
言葉が軽いな、と感じることがある。
相手に対して「あんまり言葉を選んでないだろ…」と思うとき。「それって、みんな同じようなこと言ってるよね」と感じるとき。あるいは「そんなこと言ったっけ?」と自分の言葉がふわふわ宙ぶらりんになってしまったとき。
私は最近、なんだかよく言葉の軽さを感じている気がする。それはべつに誰かを糾弾している訳ではないのだけど、なんだか耳を塞ぎたいナァと思ってしまうのだ。
もしかしたら、ブログやnoteを読みすぎたのかもしれない。人生の中で触れられる価値観なんてたかが知れているにもかかわらず、タップするだけで得られる情報の海に疲弊してしまっているのだろうか。
「重さと軽さ」の比較で思い浮かぶのは、クンデラの『存在の耐えられない軽さ』だ。この作品はストーリーだけ見るとどうしようもない浮気物語なのだけど、何と言ってもタイトルが全てを物語っている。脆さとストーリーとを上手く表現したこのタイトル、著者のセンスが半端ではない。
存在の耐えられない軽さ、である。一度読んだだけでは、私は理解できなかった。(初見では「は?存在?軽さ?えーっと???」となった)
要は自分の存在があまりに軽すぎて、薄っぺらくて、消えそうで、悲しくなってしまう(耐えられない)という意味だと思う。
そこで考えるのは、「存在に重さは存在するのか?」ということだ。物質的な質量の話ではもちろんなくて、目に見えない"存在"に重さがあるということ。それは一体どういうことなのだろう?
思いつくのは、例えば私とあなたが非常に仲の良い友人で最高の親友だったとすると、私の中であなたの存在は重いだろう。
あなたが困っていたらもちろん助けたいと思うし、定期的に会って話す時間が欲しいとも感じるだろう。
だけど、街ですれ違う全く知らない誰かの存在は、きっと軽く感じられる。その人がどんな気持ちでいま何をして過ごしていようと、全く関係がないものとして、まるでこの世に存在していないかのように感じられるのだ。(しかしその人は確かに100%存在している)
一方で、きっとその人の存在が重いと感じる人だっている。親や友人、恋人、同僚、もしかしたらSNSでのゆるい繋がりの中でも、その人自身の重さを感じている別の誰かがいるはずなのだ。
こう考えると、重さは当然ながら人によって異なると言える。"その人本来の重さ"なんていうものはなくて、常に"誰かから見たその人の重さ"があるのみだ。
言葉の話に戻ろう。
おそらく私から見て、インターネットに溢れている言葉が軽く感じられる、という、ただそれだけのことなのだろう。
そこに「いやいやちょっと待てよ、ネットにある言葉だって本に書かれてるのと同じ日本語だろ。むしろネットの方がリアタイだし本音だろ?何が違うん?」というツッコミをするのはナンセンスである。
"重さ"は人のフィルターを通してでしか表せないから。どうやら私たちは一人ひとり、全く別の計りを持っているらしいのだ。
重い言葉を読みたいときもあるし、軽い言葉に励まされるときだってある。そんなのきっと好き嫌いによって違うし、その人のライフステージとか状況によって全く異なる。
私はいま、どんな言葉がほしいのだろう?それは重いのだろうか、軽いのだろうか?一体何色で、読んだあとどんな気持ちになりたいのだろう?
答えはないけれど、たまには本気で自分のために言葉を選んでみてもいい。重さは人それぞれ。自分に聞いてみるしか計る方法はないのである。
陸に乗り上げた船を撮るカメラマンと、14歳の少女の話
被災地へ行ったのは5月のことだった。関東と違ってまだ肌寒く、やけに風が強い日だったことを覚えている。
私の身内に死者はいなかった。だけど、街全体を覆う悲しさと死の香りに、胸がふさがる想いだった。外部から来たものでさえそう感じるのだ。そこに住んでいた人たちのことを考えると、もっと苦しくなってしまった。
泥だらけの瓦礫は少し乾いていて、木材がむき出しになっていたり、ガードレールが横倒しになっていたり、屋根があったり、車がひっくり返っていたり、電信柱がぽっきりと折れていたりした。よく見ると冷蔵庫やランドセルなど、生活感のあるものも溢れかえっていた。ざぁっと風が強く吹いてビニール袋が舞い上がった。
少し進むと、船が乗り上げていた。仮設住宅もその船も全部テレビでみていたけど「あぁ、本当なんだ」と改めて感じた。
私は、去年初めて買ってもらったピンク色のガラケーを握りしめて、車から外の景色を眺めていた。当時はiPhoneが大衆化する前だったのだ。私がこの景色を記録に残す方法は、この二つ折りの機械を使うしかなかった。
ふとそこに、一人のカメラマンの姿があった。男性だろうか?立派な三脚を立てて、船をまっすぐに捉えている。本格的なカメラを初めて見た。レンズが飛び出ていて、とても大きいカメラだ。
「あぁ、写真を撮ることは私の役割じゃないんだな」。
その時、直感的に感じた。ただただこの景色を瞳に焼き付けよう、と思って車の外を見つめた。涙は流してはいけないような気がした。言葉は見つからない。
きっと、高性能なカメラ付きスマホを持っている今でも、同じ選択をしただろう。目の前に広がっているのは、「カシャ」という機械音だけで何かを壊してしまいそうな、どうしようもなく無力で脆い世界だ。
私はカメラが少し怖くなった。いや、本当はカメラが怖かったのではないのかもしれない。その空気感か、石油の匂いか、瓦礫か。とにかく全てが怖かったのかもしれない。だけど、そのときは確かに、カメラというものが怖くなったのだ。
コンビニで1,000円の寄付をするだけの自分は無力だなと思った。「ここ」へ来ても、大して何もできないし、怖がっていただけだ。ただ、必死でこの景色を理解しようと目を見開いていたことは覚えている。そしてそれは、これからも忘れることはないだろう。
嫌な記憶とか悲しい記憶とか、そんなものはたくさんある。そういうのは出来れば忘れたいものだと思うし、実際に忘れてしまったものだってたくさんある。
けれどあの景色は、忘れられる類のものではないのだ。
脳の裏に張り付いて剥がせないんだ。
「忘れない」という文脈じゃなくていい。忘れられる人は忘れてもいい。自粛も同情も、多分しなくていい。だって、だいじょうぶだよ。決して忘れられない人たちは、必ず何処かにいるのだから。
2019.3.11