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Un Chien Andalou

オールジャンル読書女子が選ぶ、心から読んでよかった本【2015〜2018年まとめ】

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本が好きなのは、なぜだろう?とたまに思うけれど、理由なんてよく分からない。気がついたら本を読んでいて、それはごく自然なことなのである。忙しくて本を読めていない時、「あ、本が足りない」と思うし、自分の中で大切な本と出会った時に、「幸せだなぁ、大事にしたいなぁ」と思う。

 

 

 

ということで日々読書をしているわけだが、年末になると毎年「今年読んでよかった本」を決めている。今回、それをまとめてみようと思います。自分で読み返す為でもあるし、もし読んでくれる誰かが手に取ってくれたら嬉しいなと。

それでは、どうぞ。

 

 

 

2015年代表:『海辺のカフカ

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

 
海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

 

 村上春樹作品は好きなものが多いのですが、中でもやっぱり海辺のカフカ。私自身本物のカフカが好きということもあって贔屓にしてる感はあるのだけど。(本物のカフカは作中全く出てきません)君はどうしてそんなにめんどくさいの?って言いたくなる15歳の少年、カフカ君の物語です。

 

 

「君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年になる」

―15歳の誕生日がやってきたとき、僕は家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになった。家を出るときに父の書斎から持ちだしたのは、現金だけじゃない。古いライター、折り畳み式のナイフ、ポケット・ライト、濃いスカイブルーのレヴォのサングラス。小さいころの姉と僕が二人並んでうつった写真…。

 

 

村上春樹にありがちな突然の性描写や恋愛のどろどろした感じ、主人公の聡明なんだか馬鹿なのかよくわからない感じが、猫や老人の存在によってうまく中和されている。これを読んだときはぐんぐん読めたし、忘れられない一冊になった。以来村上ワールドにどっぷりである。エッセイも面白い。

 

 

2016年代表:『カラマーゾフの兄弟』 

文学作品。ロシア文学ってどうなのよ?と疑ってかかっていた私にガーンと衝撃を与えた一冊。 4巻くらいあるんだけど、どれも面白くハマっていました。寒い地域の人の作品って、やっぱりどことなく寂しさと哀しさみたいな物を湛えている気がしてしまう。

 

 

文豪ドストエフスキーの遺作にして最大の作品。第2部も構想されたが1部のみで中断。しかし空前絶後のスケールをもった小説が完成した。

帝政崩壊の予兆をはらむロシアのある町で殺人事件が起こり、ミステリータッチの衝撃的なストーリーが展開される。全4分冊、以下続刊。

 

 

亀山さん訳か、原さん訳かによって、多分また違ったタッチが楽しめるのだろう。海外文学の面白さは翻訳にある。

「え?!そこそんなことする?!」「何してんの君たちーーーーー」と、現代の日本人からしたらツッコミどころは満載だったりする。好き嫌いがはっきりと分かれそうな作品でもあるので、「こちゃダメだ」と思ったら中断してOK。

 

 

2017年代表:『蜜蜂と遠雷』 

蜜蜂と遠雷

蜜蜂と遠雷

 

分厚い、本屋さんで平積みにされている、表紙が素敵。

そのくらいにしか思ってなかった。でも、それだけじゃなかった一冊。

 

 

 

 そもそも私は通勤時間に本を読むことが多いので、ハードカバーの本はあまり読まない。手が疲れるし、重いし、高い。ハードカバーから文庫化するのを待つという、出版業界から見たらあるあるな消費者像だろう。

 

 

 

でもこの本は一気に読めた。文字通り、駆け抜けた。ピアノに関する本なんだけど、私はピアノが弾けない。それでも、惹き込まれるものが確かにあった。

 

 

3年ごとに開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール。「ここを制した者は世界最高峰のS国際ピアノコンクールで優勝する」ジンクスがあり近年、覇者である新たな才能の出現は音楽界の事件となっていた。

養蜂家の父とともに各地を転々とし自宅にピアノを持たない少年・風間塵15歳。かつて天才少女として国内外のジュニアコンクールを制覇しCDデビューもしながら13歳のときの母の突然の死去以来、長らくピアノが弾けなかった栄伝亜夜20歳。音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマンでコンクール年齢制限ギリギリの高島明石28歳。完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門ジュリアード音楽院マサル・C・レヴィ=アナトール19歳。

彼ら以外にも数多の天才たちが繰り広げる競争という名の自らとの闘い。第1次から3次予選そして本選を勝ち抜き優勝するのは誰なのか?

 

騙されたと思って読んでほしい。それにしても、恩田陸さんの懐の深さよ。 本当にすごいよなぁ…。

 

 

2018年代表:『自分の仕事をつくる』

自分の仕事をつくる (ちくま文庫)

自分の仕事をつくる (ちくま文庫)

 

 小説ではなく、インタビューをまとめた本です。著者の西村佳哲さんは働き方とか生き方界隈で有名すぎる人ですね。学生時代に出会ってよかったと、心から思える本です。

 

 

仕事とはなにか。「いい仕事」はどこから生まれるのか。仕事を「自分の仕事」にするためにはなにが必要か。

八木保を、柳宗理を、ヨーガン・レールを、パタゴニア社を、ルヴァンを、象設計集団を、さまざまな「いい仕事」をする人々を訪ねて回った貴重な記録。働き方が多様になってきた時代、迷ったら立ち戻りたい働き方のバイブルである。文庫化にあたり新たに10年後のインタビューを2本追加。 

 

自分が生まれたくらいの時代から、こういった働き方をしている人がいること自体に希望を感じる。働き方ー!とかフリーランスー!とか副業ー!っていろんな人がメガホン持って叫んでて、情報が多すぎて一体何がしたいのか逆に分からなくなってしまう若者にこそ読んでほしい。

 

 

すてきな仕事って、こういうこと。ものづくりって、こういうこと。西村さんの言葉たちは、本当に力強いのです。

 

 

さいごに

人類の歴史の中で、こんなにもスマホやパソコンの画面を見つめ続けている人はいないだろうなと思う。そのくらい私たちは光を見つめていることに慣れているし、それが当たり前になってきている。でも私は、やっぱり紙の質感とか、表紙から読み取る意図とか、本に包まれる香りとか、そういうのが好きなのである。

 

 

 

たまには紙を見つめてやってください。

紙に印刷された黒い文字から、ここまで人の心を動かしたり、泣かせたり、笑わせたりできるのは、本の素晴らしいチカラだと思う。

 

 

 

そのチカラに頼りたくなった時。本は静かに、全ての人に寄り添ってくれるものだと信じています。

「自分にしかできないこと」なんて無い。そう気付いてからすべきこと

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先日、あるひとのnoteに「残念ながら、自分はどうあがいても特別じゃない」ということが書いてあった。自分から見てすごいなぁと日頃思ってた人だったので、「あんなに活躍してる人でもやっぱりこんな風に思うんだな」としみじみ感じた。まさにその通りであるなぁ、と思うと同時に、言葉にしておきたいと思ったのでここに残しておく。

 

 

 

「自分は特別でありたい」と、潜在的にほとんどの人が思っていると思う。「注目されたい」とか。それは「認めて欲しい」ということでもあり、「分かって欲しい」ということでもあるのだろう。そしてその裏には、「他人がいないと認めてもらえてると感じられない」、「他人に分かってもらえることで得られる幸福が欲しい」ということもある。

 

 

 

これだけ多くの人がいる中で、「特別」の定義は難しい。SNSでフォロワーが多い人だろうか。頑張ってる人?ホームレスや貧困、毒親から逆境を乗り越えて、今成功している人たちのこと?それともそんなのは関係ないのかな?

 

 

 

就職活動でも、よく「私にしかできないことってなに?」という問いを立てたものだ。でも、そういっておきながら、自分にしかできないことなんてないんだな、というのは、どこかでちゃんと分かってるんだ。

 

 

 

自分はこの世でたった一人なのだから、「自分にしかできないこと」は、自分がやること全てだ!とも考えられるけど。でも、代替されるものの方が圧倒的に多いのだ。私が生み出す”楽しさ”とか”経験”とか”言葉”とか、なんでも、他の誰かが別の形で表現してくれることは大いにありうる。きっと違った形で、全く知らない誰かが、地球の裏側で同じ価値を提供していることだろう。

 

 

 

私たちはりんごみたいなものだと思う。

確かにそのりんごはたった一つしかないけど、私たちは「概念としてのりんご」でしか考えない。りんごはいつでもスーパーに売っていて、食べられるものなのだ。どれだけ味わったとしても、どれだけその「たった一つのりんご」に愛着があったとしても、それはone of themでしかない。人間の歴史とおんなじだ。

 

 

 

でもまぁ、大体そんなもんなんだなーと分かってからがスタート地点だ。

 

 

 

「自分にしかできないことなんてないけど、たまたま今はこういうことがやりたいのでやってる」くらいでいい。今まで生きてきた中での経験とか、巡り合わせとか、出会い、別れ、全部ひっくるめて偶然で、本当にたまたまなんだ。その不器用な曲線の中で、奇跡的に自分がやっていることに繋がった。そんな感じでいいと思う。

 

 

 

今いる場所、話してる言語、時代、手にしたもの、手放したもの。

その偶然を愛そうと思う。

 

 

 

自分にしかできないことがない=「価値がないんじゃないか」と考えずに、まぁゆっくりとお茶でも飲んで、ゆるく生きていきたいですよね、なんて思う師走の日曜日。ほっこり。

【ほどほどなミニマリスト】メルカリ基準の買い物のススメ

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インスタには、「#持たない暮らし」というタグがある。

 

 

 

何でもかんでもモノは手に入り、ついには「OK、Google!」だけで買い物も調べ物もできちゃう!という恐ろしい時代を生きている私たちは、時折「シンプルさ」への憧れも抱いたりもする。もちろんそうでない人もいると思うけど。

 

 

 

「でもな〜、ミニマリストかと言われると、そうでもない。だけど確かに、無駄なモノは買いたくないんだよね」

というのが私の本心で、最低限のモノで生活したい!とは言っても服2着とかは絶対無理なんです。結局はモノを買うこと、所有することで満たされる欲みたいなものは、まだまだ大きい割合を占めている。

 

 

 

そんな中、最近モノを買う際のとってもいい基準を見つけたんです。

それが、「メルカリ基準」。

 

 

 

要は、「数年後にメルカリに出すことになりそうなら買わない」という至極まともかつシンプルかつ今更、という感じの基準だ。

 

 

 

メルカリ。そう、メルカリって、結構モノについて考えさせられる。

 

 

 

私は化粧品とか本を売ることがほとんどですが、「そういえば、なんで買ったんだっけ?」と思うようなものが多い。その時のノリとテンションで買ってしまったモノたちを、メルカリで売りさばいているのです。

 

 

 

確かに、自分が持ってる要らないモノを誰かが使ってくれるなら、売ったりあげたりしたほうがいい。でも、もっといいのは、要らない!と思うまでの時間を、極力長くしておく買い物の仕方をすること

 

 

 

多分死ぬ間際とか、ほとんど全部のモノは要らなくなる。可愛い服も心踊るジュエリーも、ちょっと高いノートとか万年筆、思い出のあれこれや雑貨、スマホすら要らないだろう。

 

 

 

でも私は、あと70年くらいは生きる予定でいる。なので、あと70年くらいは、自分で金を稼いで、モノを買って消費して生きていかなくてはいけない。(もしくは、自分で作り、自分で消費する)

 

 

 

それまで購買行為は続くというなら、極力「すぐに捨てる」ことはしたくない。

 

 

 

メルカリを批判したいのではない。むしろ、メルカリによってモノについて考えることができたことは、非常に有意義だと思っている。でも、メルカリを利用しなくっても、いいような生活がしたいと思った。

 

 

 

ずっと大切にしたいと思える本だけを本棚に並べて、愛着を持って日々使える雑貨を、楽しみながら集めて。もしかしたら、作り手の顔が浮かんだりすることもあるだろう。自分の生活に入ってくるモノたちと、仲良く暮らしたい。

 

 

 

ミニマリスト」なんて名乗れないし、たくさんたくさん目移りするけど(笑)、自分サイズの生活ってこういうことかなぁ。さて、どうだろうか?答えはまだないけど、日々が実践である。

くらしを丁寧につむぎ、知恵に心をふるわせる

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これからしばらくの、テーマのような言葉がふと頭に浮かんだ。朝、バイトに向かう電車の中でのことだった。

 

 

 

ぎゅうぎゅう詰めの満員電車には、もう慣れきっている。たまに現れる痴漢も然り。電車内で起こる喧嘩も然り。私はずっと東京と近い街に住んで、都心に何の疑問も不満も抱かずに22年を生きてきてしまった。

 

 

 

それは良いことでも、別段悪いことでもないような気がした。渋谷や新宿は歩いていて安心するし、「ここに行けば何でもある」という信頼もある。最先端の情報はすぐに入ってくるし、TVやインスタで紹介されるお店もすぐに行けてしまう。車なんてなくても、電車さえあれば事足りる。育った環境に適応しているだけのことだった。

 

 

 

でも最近、色んな地域の面白い取り組みを知り、欲しい未来を作る人たちと出会う機会に恵まれている。それは、自分が今まで都会で満足しきっていた、あるいは満足しすぎて見向きもしなかった新しい世界との出会いだ。

 

 

 

彼らのような「自分の心に正直に生きている人たち」に憧れを抱いた。だけど、どれだけ彼らのインタビュー記事を読んだところで、どれだけ話を聞きに行ったところで、「わたし」の答えはわたしにしか分からない。自分がどんな人生を描き、どこで息をしていくか、誰と時間を過ごすのか、何をして生活していくのか。それは私にしか決められないことなんだ。

 

 

 

くらしを丁寧に紡ぎたい。 

 

 

今のくらしが不満ということではなくて、ただ、毎日を丁寧に過ごしたいなとぼんやり思った。サプライズやイベントも大好きだけど、私はそれよりも、普段の何気ない日常のひとコマが大好きなのだ。

 

 

 

例えば、真冬の帰り道に買うほかほかの肉まんとか、日曜に淹れるコーヒーの香りとか、1階から漂ってくる夕飯の匂いとか、ファンデーションのノリがよくて思わずにっこりしてしまう朝とか、そういうやつだ。

 

 

 

一言で言うと、地味である。そう、地味なのである(2回言いました)。周りみたいに、キラキラした日常を愛することができない。みんなが集まるイベントとか、ヨーロッパ旅行とか、おしゃれなカフェとか、そう言うものに心を踊らせて生きることが、私にとってはものすごく難しい。どうしても、コレジャナイ感から抜け出せなくて、何だか悲しくなってしまう。

 

 

 

だから、私はくらしを丁寧に紡ぐことに、もう振り切ってしまおうと思う。心に正直に生きればいい。

 

 

 

でも、一体「丁寧」とはどういうことなのか?と考えたけれど、正直答えは見つからなかった。丁寧って何だろう。そして、丁寧じゃないって、何だろう?

 

 

 

もしかしたら、「感謝する」ことかもしれない。「愛する」と言うことかも知れないし、「考える」ことかも知れない。それら全部を含むものかも知れない。はっきりした「ここから先が丁寧ですよ」と言う線なんてないけど、とにもかくにも、丁寧に生きていきたい。そう思っていることだけは確かである。

 

 

 

丁寧、とか大切、って、すごく難しい。時間を大切にとか、人との繋がりを大切に、とか。すごくわかるんだけど、一体どうやったら「大切にした」状態になるのか。答えはないからこそ難しく、難しいからこそ、手を伸ばしたくなる。

 

 

 

「紡ぐ」こと

 

「紡ぐ」の意味は以下のようなものだ。

  1.  綿や繭 (まゆ) を錘 (つむ) にかけて繊維を引き出し、縒 (よ) りをかけて糸にする。「糸を―・ぐ」

  1.  (比喩的に)言葉をつなげて文章を作る。多く、物語や詩歌などを作ることをいう。「思いを五・七・五の言葉に―・ぐ」

 

私が用いたのは、1の方の意味に近い。一本一本、糸にしていく作業のことだ。だからくらし=毎日の1日1日を、しっかりと実感を持って過ごして生きたいということ。

 

 

 

カッコよさそうな言葉だけど、実は私は糸紡ぎをしたことがない。大々的に豪語してるのに…何だか少し恥ずかしくも感じられる。いつかやってみたいなぁ。

 

 

 

長く使えるモノを買ったり、自然と触れ合ったり、大切な人たちと言葉を交わしたり、自分の時間を意図的に作ったり。そう言う工夫をしていきたい。

 

 

 

知恵に心をふるわせる

 

 

知恵って別に、なんかソクラテスとかの話じゃないで。

 

 

 

ただなんか、自分が好きな本を買ったりとか、パソコンやインターネットはうまく使っていくとか、そう言うこと。

 

 

 

完全なる田舎生活とか、たぶんもう適応できない。程よく都会と付き合って、程よくインターネットの力を借りて、生きていきたい。ブログなんかは、インターネットの大きな力が発揮されるところ。SNSも、写真加工とかも。

 

 

 

持続可能な生活と、テクノロジーが仲良く共存できたらいい。緑豊かな田舎に住んで、超高速Wi-Fiが通るカフェとかやってみたいな。インスタで広報したりして。まぁとにかく、そんな感じの生活が私の中でストンと腑に落ちたのだ。

 

 

 

自分の理想の生活って、思い描くのは簡単じゃない。誰かが「模型を作れるくらいにやりたいことを明確にしろ」と言っていたけど、それってただ椅子に座って妄想してるだけじゃできないこと。

 

 

 

人と出会って、実際に足を運んで。小さなパーツを拾い集めて、時にはいらないパーツを捨てながら、ようやく理想が描ける。就職活動の時期からずっと、私は自分の理想の生活を探し求めていたんだと思う。

 

 

 

長々と書いてしまったけれど、マイテーマ的なことが見つかったので安心して前を向ける。ようやく自分の道が見えたから、あとは歩いていくだけなのだ。


あなたとの出会いにありがとう。またいつか。