アンダルシアの犬

Un Chien Andalou

「自分にしかできないこと」なんて無い。そう気付いてからすべきこと


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先日、あるひとのnoteに「残念ながら、自分はどうあがいても特別じゃない」ということが書いてあった。自分から見てすごいなぁと日頃思ってた人だったので、「あんなに活躍してる人でもやっぱりこんな風に思うんだな」としみじみ感じた。まさにその通りであるなぁ、と思うと同時に、言葉にしておきたいと思ったのでここに残しておく。

 

 

 

「自分は特別でありたい」と、潜在的にほとんどの人が思っていると思う。「注目されたい」とか。それは「認めて欲しい」ということでもあり、「分かって欲しい」ということでもあるのだろう。そしてその裏には、「他人がいないと認めてもらえてると感じられない」、「他人に分かってもらえることで得られる幸福が欲しい」ということもある。

 

 

 

これだけ多くの人がいる中で、「特別」の定義は難しい。SNSでフォロワーが多い人だろうか。頑張ってる人?ホームレスや貧困、毒親から逆境を乗り越えて、今成功している人たちのこと?それともそんなのは関係ないのかな?

 

 

 

就職活動でも、よく「私にしかできないことってなに?」という問いを立てたものだ。でも、そういっておきながら、自分にしかできないことなんてないんだな、というのは、どこかでちゃんと分かってるんだ。

 

 

 

自分はこの世でたった一人なのだから、「自分にしかできないこと」は、自分がやること全てだ!とも考えられるけど。でも、代替されるものの方が圧倒的に多いのだ。私が生み出す”楽しさ”とか”経験”とか”言葉”とか、なんでも、他の誰かが別の形で表現してくれることは大いにありうる。きっと違った形で、全く知らない誰かが、地球の裏側で同じ価値を提供していることだろう。

 

 

 

私たちはりんごみたいなものだと思う。

確かにそのりんごはたった一つしかないけど、私たちは「概念としてのりんご」でしか考えない。りんごはいつでもスーパーに売っていて、食べられるものなのだ。どれだけ味わったとしても、どれだけその「たった一つのりんご」に愛着があったとしても、それはone of themでしかない。人間の歴史とおんなじだ。

 

 

 

でもまぁ、大体そんなもんなんだなーと分かってからがスタート地点だ。

 

 

 

「自分にしかできないことなんてないけど、たまたま今はこういうことがやりたいのでやってる」くらいでいい。今まで生きてきた中での経験とか、巡り合わせとか、出会い、別れ、全部ひっくるめて偶然で、本当にたまたまなんだ。その不器用な曲線の中で、奇跡的に自分がやっていることに繋がった。そんな感じでいいと思う。

 

 

 

今いる場所、話してる言語、時代、手にしたもの、手放したもの。

その偶然を愛そうと思う。

 

 

 

自分にしかできないことがない=「価値がないんじゃないか」と考えずに、まぁゆっくりとお茶でも飲んで、ゆるく生きていきたいですよね、なんて思う師走の日曜日。ほっこり。


あなたとの出会いにありがとう。またいつか。