日々のブログ

Un Chien Andalou

【インフルエンサー未満の私へ】読まれるコンテンツになったとして、何がしたいの?

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最近、コンテンツの消費者と生産者のバランスが上手くいってない感じがしている。「読まれるブログとは?」とか「いいねを貰うためのSNS運用」のようなフレーズがしょっちゅう目に入るし、インフルエンサーがどうのこうの、みたいな話は毎日Twitterで流れてくる。「またかよ」と思いつつ、まぁ誰しも自分が発信するコンテンツのPV数が伸びたら嬉しいし、そう言うもんだよね、とも思う。

 

 

 

現在数十万PVのWebメディアに関わっているが、読まれることだけが目的になってはいけないんだなぁと、改めて感じる。例えばWebメディアを立ち上げたとして、最初はそのメディアをどうやって知ってもらうかが問題になってくるけれど。仮に読まれたとして、さぁどうしよう、となるわけだ。アフィリエイトならクリック数や広告数などが問題になるけれど、そうではない、理念ベースでやってるメディアはそこからが勝負どころなのだろう。

 

 

 

お客さんが増えること自体は良いことかも知れない。でも、本来はお客さんを増やすことだけが目的じゃなかったはず。やはりそこから先、どうすべきかが重要なのだ。

 

 

 

明日からGoogleもインターネットも何もかも消え去ったとして、それでも残る何かが、そこにはあるのだろうか。緩やかなつながりの心地よさに慣れきってしまって、インターネットに背中を預け過ぎてしまって、大切なものがよく分からなくなってきている。

 

 

 

ブログ!とかSNS!と叫んでいる世代は、実はマイノリティのはず。(そういえば日本って絶賛少子高齢化進行中なのである)これからコンテンツの消費者人口がどんどん減っていって、自然と発信者ばかりが目立っていくのかも知れない。

 

 

 

どのコンテンツを自分の身体に取り入れるのか、ちゃんと精査したいなと思う。それは食べ物を自分で選択していく作業と似ている。化学調味料を使わない自然の食べ物を食べたい!ならば、その辺りの知識をつけることは必須である。

 

 

 

私は自己中心的にしかものを書けないので、「誰かに気づきを与えたい」とか大層なことを言えない。インフルエンサーという言葉も、なんだか気軽に使うのには気が引ける。もちろん、たった一人にでも訴えかけるものがあれば嬉しいけれど、人って基本的に他人に興味がないものだと思っていて。私なんかよりも、あなたのそばにいる人たちの方が、よっぽどあなたに気づきを与えられる存在だと思ってしまう。

 

 

 

読むという行為は、確かに言葉を吸収して、人の中に意味や世界を作っていくものだけど。素晴らしいことだけど。その行為に限界があることは、事実として直視しなければならないと思う。

この世に写真がなかったら、今より一瞬一瞬を大切に出来るのだろうか

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「まじ映えじゃないこれ?」

なんていう、イマドキ感抜群の言葉が同期の口からこぼれ落ちて、なんだか居たたまれなくなってしまったのはついこの前のこと。

 

 

 

パシャパシャと写真を撮るのが当たり前になって、「おしゃれな写真撮りたいけどもはや一眼とか要るのかしら、いやプロじゃあるまいしスマホでいけるっしょ、最近のスマホは画質最強だよねやっぱりィ」みたいな雰囲気が世間に漂っている気がします。

 

 

 

昔はフィルムカメラとかがあった。そのもっと昔は、じーーーっと待ってないとシャッターを切れなかったし、カメラもむっちゃ大きかった。そのもっともっと昔は、カメラなんてものは、もちろん存在しなかった。

 

 

 

でも今は、誰でも簡単にシャッターを切れる。

 

 

 

写真というものは、基本的に"未来に残すための行為”だ。写真を撮ること自体が目的になることは少なくて(そういう人もいるだろうけど)、見返す時のために、残すものだ。雑誌の写真撮影だって読まれるために撮るのだし、インスタの写真だってLikeを貰うために撮るのだ。後で見返して「ふふふ」みたいな写真を撮っておきたいとか、そう言うのもあるだろう。

 

 

 

あとは忘れたくない風景に出会った時に、写真を撮ったりもする。写真を撮ることと忘れないことはイコールではないとしても、素敵な風景を画像として残すことで、何らかの満足感を得る。「これめっちゃ良い写真だね!」と言われたい欲求もある。

 

 

 

やっぱり、未来のために写真を撮る。イマココ、ではない。その写真を見る数秒後の自分、インスタにアップした後の友人、印刷して飾った後の家族。未来の”誰か”のために写真を撮るのだ。それは何だか、ものを書くことと非常に似ている気もする。

 

 

 

"今が大事"とか"今を大切に生きる"のような言葉が注目される割には、私たちは写真を撮ったり文字を書いたり、"未来のために"行動をしてしまう。

 

 

 

言葉を残すことも、一瞬を画像として残すことも、簡単に叶わない世界だったら私たちはもっと、今を大切に出来たのだろうか

 

 

 

そんな気もするし、そうでない気もする。今を大切にしたい私たちは、どんどんどんどん今じゃなくて未来に向けてストックしていく。

 

 

 

もしかすると、写真を撮ると言う「行為」が、「時間(今)を大切にしている」ことを体現する一つのメッセージになっているのかも知れない。「大切にする」って、とっても曖昧なものだから。何かしらの行為が伴えば、「大切にした」気になれるから。

 

 

 

まぁ、残念ながら写真がない世界を体験することなんて出来ないので、空想で終わるのだけど。写真を撮る行為は、「どうやったら今を大切に出来るんだろう?」と言う人間の問いに対する、一つの答えなのかも知れない。

 

 

 

バエもいいけど、たまにはシャッターを切るその瞬間に集中してみるのもいいのかもなー、と思ったけど、こんなん同期に言ったらめんどくさそうだから、言わないでおこうと思います(笑)。

恵まれていることは罪じゃない

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恵まれていることに罪を感じてしまう人って、意外と多いんじゃないでしょうか。

 

 

 

「ああ確かに私は幸せだね、でもそんなことで良いのかしら」と思ってしまう。たぶん、幸せの上手な受け取り方が分からないのです。

 

 

 

これって少なからず誰もが持っている感情だと思います。「悪いことが起きても、きっと次は良いことがたくさん待ってる」と思考の転換をしたりするのは、どこかで"人生は幸せなこととそうでないことが混ざってるんだ"という意識があるから。

 

 

 

ただ、これを意識し過ぎてしまうと思考の沼にズブズブと陥ってしまう。「こんなんじゃダメだ、もっと頑張らないと」と思って空回りしちゃう。そこにはたぶん、誰かと比較してしまうことも関係している。

 

 

 

自分より恵まれていない人なんて、沢山いる。何をもって"恵まれる"という言葉を使うのかによって異なるけど、比較しようと思えばいくらでも比較できてしまう。

 

 

 

日本という国に生まれて、育てられて、親がいて、学校に行けて、友達がいて、恋人がいて、お金に困らず、仕事もあって、毎日が辛くも楽しくて、生きている。

 

 

 

紛争地に生まれて、頼る人が誰もいなくて、親が亡くなり、学校にも行けず、友人もいなくて、恋愛もできなくて、お金のために働いて、毎日が辛くも楽しくて、生きている。

 

 

 

簡単に比較が出来てしまう。多くのメディアが取り上げるのは後者の生き様なので、そういうのに感化されている側面はあるだろうけど。

 

 

 

でもよく考えると、あなたが恵まれているという事実に対して、罪はないのだ。それは、多くの人と違う道を余儀なくされた人たちに罪がないのと同じだ。

 

 

 

トラウマを抱えている人もいるだろう。昔、自分が辛い経験をしたから、上手くいきすぎると不安になる。また同じようなことが起きるんじゃないかと思って、悩んでしまう。

 

 

 

「悩むな!」と言うのは簡単。でも、きっとそれで解決はしない。個人的にですが、私はそんな不安は抱えたままでいいと思う。でも、抱えるけど、その不安をどれだけ小さくできるかを考える。

 

 

 

それは勇気を持って誰かに相談してみるとか、ブログ書くとか、日記つけるとか、占い師に会うとか、ツイッターで呟くとか、Facebook投稿してみるとか、インスタでちょっと悩んでる風に投稿したりとか、何でもいい。匿名で言ったっていいし、個人で言ったっていいやん。ただ、自分がしっくりくる不安との付き合い方を見つけようとすることが大事だと思う。

 

 

 

あー、恵まれてるなー。と、今日も思う。しんどいことも沢山あるけど、それでも生きてること自体がだいぶ有り難い。有ることが難しいと書いて、有り難い。この時代にこの世界にこの瞬間を生きてることは、非常に有り難いことだろう。

 

 

 

まぁでも、そんな大きなことを考え続けても疲れるんで。心の中で「わたしにも幸せになる権利があるんだーーーい!」と叫び続けてれば、まぁ、いいんじゃないかなと思います。

「田舎でスローライフ」は都市住民のエゴなのか?

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田舎という響きの良し悪しは、聴くひとの生まれや育ちによって大きく違ってくるんじゃないかと思う。

 

 

 

「地元とかまじでなんもないよ」

「田舎嫌い!」

「田舎にいてもやることないし」

と、いう話も聞く。そうなのか?実際、私には「田舎暮らしの辛さ」がさっぱり理解出来ないでいる。

 

 

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あなたとの出会いにありがとう。またいつか。