日々のブログ

Un Chien Andalou

くらしを丁寧につむぎ、知恵に心をふるわせる


ãlife natureãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

これからしばらくの、テーマのような言葉がふと頭に浮かんだ。朝、バイトに向かう電車の中でのことだった。

 

 

 

ぎゅうぎゅう詰めの満員電車には、もう慣れきっている。たまに現れる痴漢も然り。電車内で起こる喧嘩も然り。私はずっと東京と近い街に住んで、都心に何の疑問も不満も抱かずに22年を生きてきてしまった。

 

 

 

それは良いことでも、別段悪いことでもないような気がした。渋谷や新宿は歩いていて安心するし、「ここに行けば何でもある」という信頼もある。最先端の情報はすぐに入ってくるし、TVやインスタで紹介されるお店もすぐに行けてしまう。車なんてなくても、電車さえあれば事足りる。育った環境に適応しているだけのことだった。

 

 

 

でも最近、色んな地域の面白い取り組みを知り、欲しい未来を作る人たちと出会う機会に恵まれている。それは、自分が今まで都会で満足しきっていた、あるいは満足しすぎて見向きもしなかった新しい世界との出会いだ。

 

 

 

彼らのような「自分の心に正直に生きている人たち」に憧れを抱いた。だけど、どれだけ彼らのインタビュー記事を読んだところで、どれだけ話を聞きに行ったところで、「わたし」の答えはわたしにしか分からない。自分がどんな人生を描き、どこで息をしていくか、誰と時間を過ごすのか、何をして生活していくのか。それは私にしか決められないことなんだ。

 

 

 

くらしを丁寧に紡ぎたい。 

 

 

今のくらしが不満ということではなくて、ただ、毎日を丁寧に過ごしたいなとぼんやり思った。サプライズやイベントも大好きだけど、私はそれよりも、普段の何気ない日常のひとコマが大好きなのだ。

 

 

 

例えば、真冬の帰り道に買うほかほかの肉まんとか、日曜に淹れるコーヒーの香りとか、1階から漂ってくる夕飯の匂いとか、ファンデーションのノリがよくて思わずにっこりしてしまう朝とか、そういうやつだ。

 

 

 

一言で言うと、地味である。そう、地味なのである(2回言いました)。周りみたいに、キラキラした日常を愛することができない。みんなが集まるイベントとか、ヨーロッパ旅行とか、おしゃれなカフェとか、そう言うものに心を踊らせて生きることが、私にとってはものすごく難しい。どうしても、コレジャナイ感から抜け出せなくて、何だか悲しくなってしまう。

 

 

 

だから、私はくらしを丁寧に紡ぐことに、もう振り切ってしまおうと思う。心に正直に生きればいい。

 

 

 

でも、一体「丁寧」とはどういうことなのか?と考えたけれど、正直答えは見つからなかった。丁寧って何だろう。そして、丁寧じゃないって、何だろう?

 

 

 

もしかしたら、「感謝する」ことかもしれない。「愛する」と言うことかも知れないし、「考える」ことかも知れない。それら全部を含むものかも知れない。はっきりした「ここから先が丁寧ですよ」と言う線なんてないけど、とにもかくにも、丁寧に生きていきたい。そう思っていることだけは確かである。

 

 

 

丁寧、とか大切、って、すごく難しい。時間を大切にとか、人との繋がりを大切に、とか。すごくわかるんだけど、一体どうやったら「大切にした」状態になるのか。答えはないからこそ難しく、難しいからこそ、手を伸ばしたくなる。

 

 

 

「紡ぐ」こと

 

「紡ぐ」の意味は以下のようなものだ。

  1.  綿や繭 (まゆ) を錘 (つむ) にかけて繊維を引き出し、縒 (よ) りをかけて糸にする。「糸を―・ぐ」

  1.  (比喩的に)言葉をつなげて文章を作る。多く、物語や詩歌などを作ることをいう。「思いを五・七・五の言葉に―・ぐ」

 

私が用いたのは、1の方の意味に近い。一本一本、糸にしていく作業のことだ。だからくらし=毎日の1日1日を、しっかりと実感を持って過ごして生きたいということ。

 

 

 

カッコよさそうな言葉だけど、実は私は糸紡ぎをしたことがない。大々的に豪語してるのに…何だか少し恥ずかしくも感じられる。いつかやってみたいなぁ。

 

 

 

長く使えるモノを買ったり、自然と触れ合ったり、大切な人たちと言葉を交わしたり、自分の時間を意図的に作ったり。そう言う工夫をしていきたい。

 

 

 

知恵に心をふるわせる

 

 

知恵って別に、なんかソクラテスとかの話じゃないで。

 

 

 

ただなんか、自分が好きな本を買ったりとか、パソコンやインターネットはうまく使っていくとか、そう言うこと。

 

 

 

完全なる田舎生活とか、たぶんもう適応できない。程よく都会と付き合って、程よくインターネットの力を借りて、生きていきたい。ブログなんかは、インターネットの大きな力が発揮されるところ。SNSも、写真加工とかも。

 

 

 

持続可能な生活と、テクノロジーが仲良く共存できたらいい。緑豊かな田舎に住んで、超高速Wi-Fiが通るカフェとかやってみたいな。インスタで広報したりして。まぁとにかく、そんな感じの生活が私の中でストンと腑に落ちたのだ。

 

 

 

自分の理想の生活って、思い描くのは簡単じゃない。誰かが「模型を作れるくらいにやりたいことを明確にしろ」と言っていたけど、それってただ椅子に座って妄想してるだけじゃできないこと。

 

 

 

人と出会って、実際に足を運んで。小さなパーツを拾い集めて、時にはいらないパーツを捨てながら、ようやく理想が描ける。就職活動の時期からずっと、私は自分の理想の生活を探し求めていたんだと思う。

 

 

 

長々と書いてしまったけれど、マイテーマ的なことが見つかったので安心して前を向ける。ようやく自分の道が見えたから、あとは歩いていくだけなのだ。


あなたとの出会いにありがとう。またいつか。