日々のブログ

Un Chien Andalou

恵まれていることは罪じゃない


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恵まれていることに罪を感じてしまう人って、意外と多いんじゃないでしょうか。

 

 

 

「ああ確かに私は幸せだね、でもそんなことで良いのかしら」と思ってしまう。たぶん、幸せの上手な受け取り方が分からないのです。

 

 

 

これって少なからず誰もが持っている感情だと思います。「悪いことが起きても、きっと次は良いことがたくさん待ってる」と思考の転換をしたりするのは、どこかで"人生は幸せなこととそうでないことが混ざってるんだ"という意識があるから。

 

 

 

ただ、これを意識し過ぎてしまうと思考の沼にズブズブと陥ってしまう。「こんなんじゃダメだ、もっと頑張らないと」と思って空回りしちゃう。そこにはたぶん、誰かと比較してしまうことも関係している。

 

 

 

自分より恵まれていない人なんて、沢山いる。何をもって"恵まれる"という言葉を使うのかによって異なるけど、比較しようと思えばいくらでも比較できてしまう。

 

 

 

日本という国に生まれて、育てられて、親がいて、学校に行けて、友達がいて、恋人がいて、お金に困らず、仕事もあって、毎日が辛くも楽しくて、生きている。

 

 

 

紛争地に生まれて、頼る人が誰もいなくて、親が亡くなり、学校にも行けず、友人もいなくて、恋愛もできなくて、お金のために働いて、毎日が辛くも楽しくて、生きている。

 

 

 

簡単に比較が出来てしまう。多くのメディアが取り上げるのは後者の生き様なので、そういうのに感化されている側面はあるだろうけど。

 

 

 

でもよく考えると、あなたが恵まれているという事実に対して、罪はないのだ。それは、多くの人と違う道を余儀なくされた人たちに罪がないのと同じだ。

 

 

 

トラウマを抱えている人もいるだろう。昔、自分が辛い経験をしたから、上手くいきすぎると不安になる。また同じようなことが起きるんじゃないかと思って、悩んでしまう。

 

 

 

「悩むな!」と言うのは簡単。でも、きっとそれで解決はしない。個人的にですが、私はそんな不安は抱えたままでいいと思う。でも、抱えるけど、その不安をどれだけ小さくできるかを考える。

 

 

 

それは勇気を持って誰かに相談してみるとか、ブログ書くとか、日記つけるとか、占い師に会うとか、ツイッターで呟くとか、Facebook投稿してみるとか、インスタでちょっと悩んでる風に投稿したりとか、何でもいい。匿名で言ったっていいし、個人で言ったっていいやん。ただ、自分がしっくりくる不安との付き合い方を見つけようとすることが大事だと思う。

 

 

 

あー、恵まれてるなー。と、今日も思う。しんどいことも沢山あるけど、それでも生きてること自体がだいぶ有り難い。有ることが難しいと書いて、有り難い。この時代にこの世界にこの瞬間を生きてることは、非常に有り難いことだろう。

 

 

 

まぁでも、そんな大きなことを考え続けても疲れるんで。心の中で「わたしにも幸せになる権利があるんだーーーい!」と叫び続けてれば、まぁ、いいんじゃないかなと思います。


あなたとの出会いにありがとう。またいつか。