恋というより愛の人
恋することが苦手である。
恋ってなんだろう、って考えたとき、それは多分人を好きになるということだと思うんです。何に惹かれるかは人それぞれだけど、そこに確かな何かがあるはずで。
恋する、というより恋に落ちるというのかな。どうしようもなく好き、みたいな感覚が、きっと多くの人にもあるだろう。何はともあれ好きだと。たとえ何があっても、多分おそらく99.9%の確率で私はあなたを応援したいと思う、という感情がある。
私の場合、ふと気づけばそれはあっさりと恋を通り越して、愛になっている。
ちなみにこれは男女関係がありません。「この人のここが素敵だ」と思ってしまったら、そこから抜け出せないというか、惚れた弱み的な重さが加わってしまう。よほどのことがない限り、その人の助けになりたいと思う。思ってしまう。
つまり恋の過程をすっ飛ばして、直感的に人を愛してしまう。
もちろん誰でもいいわけではない。むしろそんな風に思える人は少ない、なかなかいない。年代問わず誰とでも上辺で仲良くなれるし、どんな人とでも話せるけれど、誰とでも深い仲にはなれない。そういう人は思った以上に多い気がしている。八方美人とも言えるだろう。
一体何が恋で、どこからが愛なのかわからない。そこの境目なんて本当は存在しないのかもしれないけれど。恋愛だったら、というか男女間の問題なら、それは肉体関係を持てるか否かみたいなところが関わってくるかも知れない。だけど、それだけじゃない。普通の人間関係においても、気がつけば他人を愛してしまうのだ。それは自分で制御できるようなシロモノではない。
愛とはなんぞやとGoogle先生に聞いてみると、こんな答えが返ってきた。
そのものの価値を認め、強く引きつけられる気持。
かわいがり、いつくしむ心。「子にそそぐ―」。いつくしみ恵むこと。「神の―」。いたわりの心。「人類―」 大事なものとして慕う心。「母への―」。特に、男女間の慕い寄る心。恋。
そうか、そうか。そうだよなぁ。男女関係なく、他人に磁石みたいに引きつけられてしまう。自分自身の磁力が強いということだろうか。
また、調べていたら作家・平野啓一郎氏のこんな言葉があった。
愛とは、他者のおかげで自分を愛せるようになること
誰かを愛することより、自分を愛することの方が何倍も難しい。誰かのおかげで自分を愛せるようになれたのなら、それが究極の愛なのだという。書いてて恥ずかしくなるくらいの、まっすぐで生々しい言葉だ。
確かに、「この人と一緒にいるときの私、好きだなぁ」なんて思えるってことは、大抵その人は自分の大切な人だろう。自分だけじゃない、自分と相手がいて、初めて愛とか恋とかは成立する。当たり前のようだけど、そういえばそうなんだったと改めて気づかされる。
軽く触れ合うことなんてできなくて、直接手を突っ込んで腹を探り合う事しかできない。恋ができずに愛する事しかできない、なんて。一言で言えばめっちゃくちゃ重い(笑)。でもこの重さが軽くなることは多分ないから、仕方ない。
自分は恋というより愛の人。きっと、ただそれだけのことだろう。
言葉にすることで失われるもの
言語がない世界ってどんな感じなんでしょう。例えば犬はどうやって会話をしているんだろうかとたまに思う。
基本的に、私たち人間からはただ"吠える"だけに聞こえるコミュニケーションも、実はものすごく計算されているものだったりして。「この前散歩のときに会ったポチってやつ、めっちゃ言葉遣い綺麗だったわ」とかあるのかな。それとも「あいつの吠え方はちょっと関西の訛りがきいてるよね」とか?「あの犬はイケボだわん」とか?犬のイケボってどんな感じのやつなんだろう。きゅんとする吠え方とかあるのかなやっぱ。
犬に限らず、人以外の生物はインターネット上に文字を残したり、書いたり彫ったりして文字を残すことはあまりしないから(今のところは)、余計直接のコミュニケーションが大事なんだろうな。録音とかも出来ないしね。
考えれば考えるほど、なんだか人は言語以外のコミュニケーション手段に対して弱い気がする。言葉がなければ全く理解出来ないとまでは行かないけれど、言葉を通して世界を見ている人類だもの、言葉に頼ってる部分は大きい。
言葉がなかったとして、例えば水をどうやって表現できようか。透明、液体、海、雨、という単語もない。そんな中であの、なんとも言えない存在をどう形容するのか。やっぱ仕草で表すとか、唸るとかそんな感じかな。いやー、そこから言語を発達させてきた先人たちには頭が上がらないですね、ほんとに。
だけど同時に、人はもう言葉からは逃れられないのだなぁとも思う。私が今使っている言葉は、恐らく50年後も100年後も200年後も、余程のことがない限り理解出来るものだと思う。それは、ある意味新しい表現方法の開発を放棄することでもある。
言語というものに胡座をかくしかなくて、もうそこからは暫く立ち上がれない。まぁ、もちろん多少は変わるけども…すげー変わるとは思えないんだよね。私たちだって夏目漱石の作品を読んだり、和歌を解読したり出来るわけで。プラトンとかアリストテレスとか、全く言語が異なる人たちの考えを知れるのも、残っている言葉たちのおかげ。
もちろん、言語以外のあらゆる表現活動も生まれてきた。それは、絵を描いたり映像を撮ったり、音を奏でたり身体を動かしたりすること。これからはもっと、プログラムを書くこととかITを駆使したものも活発になると思う。
だけど言葉は圧倒的だ。
朝目が覚めてから今日のニュースを読んで、「おはようございます」と言って朝が始まり、会議したりLINEしたりして過ごし、数字を追って買い物をし、テレビからあらゆる表現を受け取り、こうして活字を目で追ったりもしてる。
一方、言語で語れないものがあることも私たちは知っている。
言語隠蔽(げんごいんぺい)という概念をご存知だろうか。これは"言葉にすることで逆に伝わらないものがある"というもの。ある研究で、人の顔を覚えるために他人の特徴を言葉にした方が記憶に残るか、あるいは言葉にしない方が良いのかを実験したそうなんです。
で、結果はお察しの通り。言葉にしないで、感覚的に人の特徴を捉えた方が、より記憶に残るのだそうです。だから例えば、Aさんは眼鏡をかけていてカーディガンを羽織っていた…とかではなくて、「Aさん?あぁ、あのクリエイターっぽい人ね」とぼんやり記憶していた方がすぐ思い出せるということ。
この実験は他人の顔を覚えるという実験テーマに沿っていたけど、他のことでも当てはまりそうだなぁと。研究の結果は、こちらのブログに丁寧に書かれていたので、ちょっと引用させてもらいますね。
・言語化は、閃きを必要とするような課題(洞察問題)の解決をむしろ妨害する。 ・ヒューリスティクス(の多く)はほぼ無意識的/自動的に作用する。言語化がその過程を妨害する可能性がある。 ・意識的には考えない「暖め」(incubation)の時間が重要。無意識的な思考を示唆している。 ・「直観 vs 分析」の違いに関連している可能性がある。
言語化は、突然の閃きとか柔軟に考えることを阻害する恐れがある。そう言われると、なんだかそんなもんかもなぁ、なんて思えてくるから不思議だ。
「ありがとう以上の言葉があったらいいのに」
「なんかよく分からないけど、あなたの全部が好き」
「無性にむしゃくしゃして仕方がない」
こういうことはよくあるだろう。感覚的なものだ。
私自身、日常生活において言葉にすることが苦手なので(ちゃんと時間をかけないと言葉にできない&分からない)困ることは多い。「なんでそう思うの?」とか、「感情ベースで考えすぎだよ」とか。言われる。
自分が出会った最高の映画の感想を聞かれて「めっちゃ良かった!何が良いかは分かんないんだけどね、とにかくめっちゃ良かった!!!!」って言ってしまう。だって分かんないの。その作品の、きっとコピーから衣装から雰囲気から女優から男優から音楽から映画館の雰囲気からカメラのフィルター、一緒に行った人まで全部ひっくるめて、その”良い”が生まれているのだから。一言二言でね、うまく言えないの。
ボキャ貧というやつかな(ボキャブラリーに乏しいこと)。そんな自分の特性に、なんとかならんものかな〜と思っていたけれど。でもなんだか、この言語隠蔽効果を知って、それでも良いかと思えた。
言葉にできなくっても別に良い。言葉だけが全てじゃないから。
SNSや情報発信が日常的に行われるようになって、目に入る情報は言葉で溢れている。そこから一歩下がって、感覚的な”好き”とか”良い”も大事にしたい。
重要な場面で人に伝えるための言葉は大事だけれど「生き物は本質的に感覚的な存在なんだ」という認識を、心の隅っこに置いておくことにしている。
女子高生が人気No.1ラジオ「バイリンガルニュース」を聞き続けるとこんな大人になるよ
みなさん、Podcast(ポッドキャスト)をご存知でしょうか。
ポッドキャストは、あのAppleが提供しているどこでも聞けるインターネットラジオです。日本ではあまり普及してませんが、海外だと結構なブームになったこともあるくらい。
私は英語学習を目当てにポッドキャストの存在を知りました。通勤時間の暇つぶしにもよし、集中して聴き入るのもよし。ダウンロードしておけばオフラインでも聞けるのも嬉しいです◎
そんなポッドキャストを聴き始めた当初から、私がずっとお世話になっている番組が「バイリンガルニュース」です。海外のジャーナルに載っているニュースや研究を、英語と日本語で紹介するラジオ。
基本的にスピーカーであるマミ(日本語)とマイケル(英語)の対話を聞く形式で、たまに起業家や大学教授がゲストとして登場します。台本や打ち合わせ、広告なんかも一切ない、本当の”英語の会話”を聞くことができます。テーマは環境、宇宙、人間関係、サイエンス、性、エンタメ、哲学など、幅広くカバー。
私は約4年前から聞いています。聞いていなかった期間も多少はあるのですが、結局は戻ってきてますね。もう抜け出せない感が半端ではありません。
↓詳しくは公式HPへ。文字起こし、グッズ販売もやってます。
↓新しいHP
きっかけは大学受験。行きたい大学がめちゃくちゃ英語を重視してたんです。授業は英語でディスカッションする、みたいな感じで、当然試験でも英語が重要視されていました。TOEICやTOEFLの勉強をしないと高得点は取れないらしいと聞き及び、大金はたいて(高校生にとっては痛手)TOEIC教材を大量購入しました。
で、筆記を中心に学んでたんですがリスニングがどうも対策を取りづらくて。「何かいいリスニング教材ないかな~」ってググって、でてきたのが”バイリンガルニュース”でした。
当時は2014年。
あんまり覚えてないけど、なんだろうなぁ…IS(アイエス:イスラミックステート)がまだISIS(アイシス)って呼ばれてた記憶がありますね。日本人ジャーナリストが殺害された事件(2015年1月-2月)がありましたけど、あれが起きる前からISは国際社会で有名でした。というか、有名らしいと言うことをバイリンガルニュースで知りました(笑)。
↓もはや懐かしいですね。
なので、日本人の殺害事件にまで発展したときは、「これバイリンガルニュースで出てきてたやつや!」となった。このあたりからすげぇ…まじで生活にリンクしてる…!と思ってバイリンガルニュースの凄さを感じ始めました。
そんな私がこれまでバイリンガルニュースを聞いてきて、確実に自分の思考に影響を与えていると感じます。バイリンガルニュースを聞いてなかったら…と考えると、ちょっとだいぶ違った人格になったのでは、と思うくらいには。
ということで、今回は「バイリンガルニュース」を4年あまり聞いて、自分の思考にどんな影響を与えているのかを分析していきたいと思います。
イーロン・マスクに注目せざるを得ない
えーっと、今色々と大変なことになっているイーロン・マスク氏ですが…。
バイリンガルニュースの会話の中でイーロン・マスクがめっちゃ出てくるんですよ。今はもう国内でもだいぶ知られてきたけど、昔はもっと、なんかね、謎に包まれてた(笑)
最初は「イー論…え?なに?なにそれ?新しいマスク?フェイスパックかな?」とか思っていましたが、マミ&マイケルの2人とも「あの人は本当にすごい、海外ではレジェンド、でも日本ではあんまり注目されてない」みたいなスタンスだったので、そんなすごいのかと思って調べていくと…。
「イーロン・マスク、すげぇ。」となるわけです。
お願い火星に行かないで…!あ、でもやっぱちょっとだけ行って帰って感想聞かして…!という感じ。提訴されたり色々大変そうですが、それにしても多くの人に影響を与えている人であることに変わりはありません。もはや同じ人類なのかと疑うレベルですが、恋愛だけは必ずしも順風満帆ではないようで、彼もどうやら人間らしい、と思えて安心する。なんて本読んで調べてしまうくらいにはハマりました。
海外のエンタメを好きになる
海外のエンタメって、なんかミーハーじゃないと知る機会ないですよね。日本のエンタメにだってついていけないのに、海外情勢なんてわからん…!となるのが普通ですが、バイリンガルニュースを聞いていると、「このドラマが面白かった」「このドキュメンタリーがやばい」「あの映画見た?」という話がポンポン出てきます。
そんな、ね、おすすめされたら気になるじゃないですか。ネット上の口コミより、気の置けない知り合いに勧められた商品の方に魅力を感じるのと同じ。え、じゃあ観ちゃおっかな、というノリで映画やドラマやラジオを漁りました(笑)
結果として、観ないとほんっとーーーに勿体無い作品がたくさんあったなぁと。新しい考え方や生き方、技術やアートの最先端はやっぱり英語圏に集中してる。それは良い悪いではなく、事実として認めざるを得ません。アクセスはできるわけだし、日本にいながらも海外のエンタメ、アートにも注目するようになりましたね。
性に対してオープンマインド
日本の性教育は、本当に遅れていると思います。とにかく性について語り辛い。下ネタとして笑いのネタで一蹴されたり、なかなか他人に相談できなかったり。LGBTの考え方は普及してきたけれど、海外と比べると多様性への寛容度は低いでしょう。
バイリンガルニュースでは、性についての話がたくさん出てきます。セックスの話だったり、女性・男性特有の身体について、妊娠・出産、LGBT、ホルモン、VRのAV、セックスロボット、ポルノ、動物の話まで、ほんとに色々。
普段話題にしないような、ある種エグい話でも。正直に向き合うことで、なんだか性に対する意識は変わった気がします。男でも女でも、そうでなくても、ちゃんと自分の身体と心を大事にすることが一番。こういったクローズドな話題にもポジティブでいられるのは、バイリンガルニュースの影響だろうなぁ。
宇宙、AI、環境問題に注目
はい、こういった話題に敏感になります。
宇宙ごみを集める企業や開発、AIで作るアートとか翻訳、プラスチックやパームオイルが与える環境への影響などなどなど…。
とにかく、こーゆー話がね、楽しい!!!
サイエンスの分野は、毎日アップデートされるものです。それを追いかけるのは中々難しいのですが…それを助けてくれるのがバイリンガルニュースなのです。日本と海外とでどれだけ認識が違うのかを感じることが出来るし、面白い研究もたくさんやってる。宇宙の変容が既に起きているかも知れない、という研究なんて普段ぼけっと生きてたら絶対考えないトピックじゃないですか。こういう情報に触れるだけでも、思考の仕方が変わってくる。常識を疑う姿勢が身についた、ような気がしています。
自由でカッコいい大人たちを知っている
たまに訪れるゲストたちも、素晴らしい顔ぶれ。
基本的に英語を話せる人が出てくるのですが、面白いですよ。世界中を旅した話、研究してジャーナルに載った話、動物と触れ合う素晴らしさについて、などなど。バイリンガルニュースがなかったら絶対に知ることはなかったであろう人たちと、こういった形で出会うのも楽しみの一つ。
子ども〜高校生って、大人との接点が少ないじゃないですか。一番近いのは親とか先生、親戚くらい。兄弟がいればまだ良い方だけど、研究者として生きている大人とか、自分の夢を実現させた大人に出会う機会は多くない。そんな中、「こういう生き方をしている大人がいる」と知ることって、私にとって本当に大きなことでした。マミとマイケル自身の話もそうだけど、いろんな大人の背中を垣間見ることが出来るのも、本当にバイリンガルニュースの魅力。
終わりに
とにもかくにも、私の知的好奇心を刺激してくれるのはいつもバイリンガルニュースでした。高校生という、割と頭がやわやわだった時期からバイリンガルニュースに出会えたことは、本当に幸運としか思えません。だって考え方がガラッと変わるもの。
英語で情報を入手すること、それについて自分の意見を持つこと。
批判とかお金を気にするんじゃなくて、素直に地道に正直に情報発信をすること。
それらの大切さを教えてくれたのが、マミ&マイケルのお2人なのです。
正直バイリンガルニュースに出会わなかった自分があんまり想像できません。「日本人は自分の意見を言わない」「空気を読み過ぎる」「国際社会で負けてる」「英語教育がなってない」「情報に疎い」とかなんとか、マイナスな意見を聞くことも多いですが、リソース選びをしっかりやれば、こういったステレオタイプな"日本人像"に当てはまらなくなっていきます。
ただ学校の英語を小学校から始めるだけで、多くの子どもが英語好きになるかなんて分からない。留学したから英語で自分の意見を言えるようになるかどうかなんて分からない。TOEIC900点だからといって仕事で英語を使えるかどうかなんて分からない。どんな方法が良いかはその人次第です。
英語力を上げつつ自分の視点を変える手段として、ぜひ「海外で起きているナマの情報に触れる機会を作る」もプラスしてみて欲しいです。机に向かってガリガリと進める”お勉強”としての英語よりも、もっと自然な形で英語と触れ合うことが出来ます。価値観変わるよ、きっとね。
*
最後に、いつも楽しい時間をくれるマミ&マイケルに心からの感謝を。
毎週あれほどの番組を作り上げるって、地味なようで絶対大変な作業ですよね。一般人だけど有名人っていう微妙な立ち位置で、嫌になることは何度もあったはずなのに今でも続けてくれて本当にありがとう。これからも、お世話になります!