”意識高い系”は差別用語か
私の周りには、所謂「意識高い系」が多い。
インターンしてました!
サークルの代表やってました!
バックパッカーしてきました!
途上国へ行ってきました!
ビジコン出てきました!
奨学金もらってきました!
自分探しの旅に出ました!
ボランティアしてきました!
スタバで勉強してます!(Macで)
エトセトラエトセトラ…
彼らは大学生の間で、”意識高い系”としてくくられ、
無意識のうちに”深くかかわってはいけないような気がするカテゴリー”に登録される。
でも意識高い系の人が、いつでも意識高いかというと、そうでもない。
意識低い系が意識高い系認定されることだってあるのだ。
例えば、
「いつも単位を落としてばかり、アパレルでバイトをしながらサークルに明け暮れ、昼間の授業はスマホor仮眠な女子大生N」
が突如、「私資格取るから勉強始めるの」と言い出すとどうだろう。
周りの友人たちは絶対にこう言う。
「「えぇ~、意識たかぁい」」と。
私は、これって結構悲しいことなんじゃないかなと思ってしまう。
Nは、「意識高い人認定」された時点で、周りから一歩距離をとられた存在になる気がするのだ。
同じような状況で、私も「すごいね、意識高いね」とサラッと言われたことがあるし、
実際自分も言ってしまったことだってある。
ごめんね。
(その辺の社会人よりずっとカッコよく輝いて働いてる"スゴイ大学生"なんて探せば大量にいたりする)
「意識高いヤツ」=「何か嫌なヤツ」
この認識が統一されている限り、
もはやこれは悲しい差別のような気がしてきた。
いや分別か?
意識低い人と高い人の間には大きな壁があって、その壁に少しでも手を掛けようものなら「お前もか…」という反応をされる。
いじめではないし、自然と出てしまう言葉なら仕方がないのだけれど。
でも、テキトーに「意識高いねぇ」と言うと波紋が広がりかねない。
自己承認欲求が強い。
別にいいじゃないか。
みんなそうでしょ。
本当に意識高い人は、
きっとそんなこと気にも留めずに前を走ってるだろうし。
言えることは、とりあえず意識は保っておこうということ。
高くても低くてもいいから。
とりあえず生きておこう。
てゆーか意識の高さなんて気にしてる時間、超絶無駄じゃない?