まだ間に合う。3月25日までに谷川俊太郎展に滑り込むべき3つの理由
谷川俊太郎という詩人がいる。
彼の名は、おそらく誰もが耳にしたことがあるだろう。
私の中で谷川俊太郎という人物が最も印象深く刻まれた作品は、中学時代に知った『信じる』という歌だ。
当時は合唱コンクールというものがあって、クラス一丸となってひとつの歌を発表する行事だった。各学年暗黙の了解として"いい歌"が存在し、毎年どのクラスがその"いい歌"を歌うことが許されるのか、それを競っていたようにも思う。
当時12-13歳だった私は、『信じる』を歌う先輩たちの歌の美しさに憧れた。鳥肌を身体にびっしりと感じた。そして優しい手で心臓をきゅっと掴んで離さないような、そんな感覚だった。
葉末の露がきらめく朝に
何を見つめる小鹿のひとみ
すべてのものが日々新しい
そんな世界を渡しは信じる
信じることは生きるみなもと
メロディもさる事ながら、その言葉の聡明さ、無駄なくひっそりと真理を問う鋭さが、私の心に届いていたのだろう。
さて、そんな谷川俊太郎の展示会があるという。私はこの展示会を、自分が尊敬する人のTwitterで知った。
詩という世界は不思議だ。
みんな同じ言語を使っている筈なのに、ある人の発する言葉は他の大勢よりも遥かに深い意味を持つ場合がある。
ともすれば小学生でも考えられるような無邪気な軽さで、一方で歳を重ねたからこそ分かるこの世の摂理を察するような重さで。その文字は人の心を打つ。
少ない言葉で伝えたいことを伝える難しさは、多くの人が感じているのではないだろうか。
さて、そんな詩人界の巨匠、谷川俊太郎展は私たちにどう語りかけるのか。
先日足を運んだ筆写が考える、その作品たちに触れるべき理由をお伝えしたいと思う。そしてたった一人でも、彼の作品を通して言葉の世界と向き合ってみて欲しい。
①言葉はアートなのだと思い知らされるから
入ってすぐのところにあるのが、言葉と音楽と色の世界。要は、谷川俊太郎氏ご本人の朗読と、音楽と、明朝体を基本とした文字がスクリーンに映し出される。
私はこの空間で、一気に持っていかれた。なんだろう、ずっと見ていたくなるような感覚だった。
一瞬、何を伝えようとしているのか分からなくて、解釈の難しさに思考停止してしまう。それくらいには前衛的。
右から左へ、そしてぐるっと一周駆け巡る。音と光と文字と。全てが私たちを包み込んで、別世界へ引っ張られる。
手を取って優しく、というよりは、強引に・豪快に。エッジが効いているぶん、とても心地のいい豪快さである。
でもだんだんと、これこそが「ことばあそび」なんだと感じられる。楽しさが生まれてくる。言葉も、アートというカテゴリーに入っていることを思い知らされる。
同時に、この”ひらがな”を理解できる自分で良かったなぁとも思った。このアートを理解できるのは、日本語が分かる人だけだ。
それは当たり前のことのようだが、この空間にいると、日本人としてこのアートに触れられることの素晴らしさを実感できる。
②懐かしさと新しさが見つかるから
例えば『スイミー』なんて、ものすごく有名。国語の教科書にも掲載されている。独特な絵と、素敵な物語に本質が詰まった作品だ。
「あ、これも谷川俊太郎作品だったんだ」
という発見は、この展示会にはたくさんある。
そして、それと同時に時代が違うからこその「新しさ」が見つかっていく。例えば私と同年代の20代前半の人たちからしてみれば、こういった「昔の」ものはノスタルジーを感じるより、新しさを感じることもあるはず。
とても素敵だ。懐かしさと新しさと、二つが混ざって不思議な空間を醸し出す。
このブースは「自己紹介」として、谷川俊太郎氏の私物、これまでの歴史などを表現したもの。写真撮影可。『自己紹介』という詩に合わせて、センス良く写真や作品、Tシャツなどが展示されている。
私は背の低い禿頭の老人です
もう半世紀以上のあいだ
名詞や動詞や助詞や形容詞や疑問符など
言葉どもに揉まれながら暮らしてきましたから
どちらかというと無言を好みます
私は工具類が嫌いではありません
また樹木が灌木も含めて大好きですが
それらの名称を覚えるのは苦手です
私は過去の日付にあまり関心がなく
権威というものに反感をもっています
斜視で乱視で老眼です
家には仏壇も神棚もありませんが
室内に直結の巨大な郵便受けがあります
私にとって睡眠は快楽の一種です
夢は見ても目覚めたときには忘れています
ここに述べていることはすべて事実ですが
こうして言葉にしてしまうとどこか嘘くさい
別居の子ども二人孫四人犬猫は飼っていません
夏はほとんどTシャツで過ごします
私が書く言葉には値段がつくことがあります
―谷川俊太郎『自己紹介』
最後の一文でドキッとさせられませんか?私だけですか?(笑
あなたの言葉には、それはもう計り知れないほどの価値があるのでしょう。そうして生きていくことが、詩人という職業なのだと、静かに、でもハッキリと語っている。そんな気がした。
③言葉一つで人間性を表すと実感出来るから
最後のブースには、「3.3の質問」というもの。谷川俊太郎氏による3つの質問に対する著名人の回答が、スクリーン上に展示されている。
例えば『人を殺すとしたら、どのような方法で殺しますか?』
という谷川俊太郎氏の質問に対し、著名人はどのように答えたのでしょう。そして、あなたなら、どう答えるでしょうか。
その解答1つで、まるでその人の人物像が見えてくるよう。「あ~、やっぱりね」「私ならこうかな」「流石○○さん…」と、次々変わるスクリーンに飽きが来ない。
真理を突く質問に対しては、回答の仕方で人間性まであぶりだされてしまう。恐ろしい、けどすごい。問うことと答えること。普段何気なくやっていることですが、そこから見えてくるものって意外とたくさんあるのですね。
まとめ
①言葉はアートなのだと思い知らされるから
②懐かしさと新しさが見つかるから
③言葉一つで人間性を表すと実感出来るから
「詩の良さが分かるほど、美的センスがない」とか思ってしまう人でも、きっと楽しめるはず。考えさせられる”何か”が必ずあるから。
さぁ、あなたも美しい言葉の世界へ。
期間は3月25日までなので、残すところあと3日。場所は東京オペラシティ。新宿からすぐ近くです。
私はこの場所には初めていったけど、アート系の展示会も多いのでお世話になりそうです。
私はもう、歴史になっていますか。
そう問いかける彼に、いまを生きる一人の日本人として、何と返そうか。