日々のブログ

Un Chien Andalou

たとえ理解できなくとも、他人のこだわりを馬鹿にする人にはなりたくない


アイシャドウって、なんであんなに色がたくさんあるのだろう。それ以外にも、ネイルとか、洋服の色とか、なにやら女子の周りは「ニュアンスカラー」や「ありそうでなかった色」、「コピーが面白い色名」が気に入られやすい。あれは何なんだろう。

 

 

 

「べつにどれも一緒じゃん」という、絶対に彼女には言ってはいけないNGワードが頭をよぎる私は、一般論で言えばだいぶ冷めてしまっている気がする。

 

 

 

でも、些細なこだわりを持つことで、なんてことない生活がぎゅっと素敵になることも、わかる。

 

 

 

他の人から見たらどうでもいいと思われるかもしれないけど、譲れないものがあるなら、それはとても素晴らしいことだろう。なぜならそれこそが、きっと自分自身を形成する核のようなものだから。

 

 

 

西村佳哲さんの著書にでてくる、"立春"の話を思い出す。立春とは、春らしくなってきた時期を言う。それを踏襲するならば"自立"とは、自分らしさが見つかった状態のことを言うのだと。「なんとなく、あなたらしいね」そんな"らしさ"があるからこそ、自立できる。そんなことが書いてあった。

 

 

 

その、そこはかとない"らしさ"は、きっと他人からすぐ理解されるなんてものではない。時間をかけてゆっくりと、お互いの心のかたちを確かめ合うようにして、何となく"わかった気"になる。

 

 

 

寂しいけれど、人と人は完全に溶け合うことはできないから、ぜんぶが誤解である可能性だってあるんだろう。だけどそれでも、他者を理解したい気持ちを素直に捨てられる人は、本当はほとんどいないような気がしている。

 

 

 

「べつにどれも一緒じゃん」。

そう思ってしまうことは否定しない。でもそのあとで、「まぁあなたがそれを好きなら、いいか」と思い直せるような、そんな心を持つ人でありたいなと思う。


あなたとの出会いにありがとう。またいつか。