やりたいことがない学生の受け皿となる企業の中で、やりたいこと(仮)を見つけてる社会人
多くないですか。
(表題)
私はいま、就職活動というものをしています。
シューカツってやつです。最近、黒いスーツにベージュのトレンチコートの人が多くないですか?それです、それです。そのうちの一人です。影分身ではないってばよ。
なぜこんな格好をせねばならないのか、それはこの格好が世間的に良しとされているからであり、決して好き好んでやってる訳ではないです。みんなそうか。
そんなわけで、多くの社会人とお話する機会があります。一対一のときもあるし、グルディス的な感じのときもあるし、一人の言葉を多くの学生が必死に聞いているときもある。
それで最近、多いなぁと思ったのが
「学生時代、君たちと同じように就活して…、(あーだこーだ)それで結局、やりたいことが見つからなくて。それで、じゃあどうしようかなって思ったときに、(なんとなく)成長できそうで、ビジョンに共感したから今の企業で働いてるんだ。」
って人。多くない?って思っちゃった。
もちろん就活も人生も、人それぞれだと思う。好きにしたらいい、好きに生きたらいい。なんだけど、「やりたいことがない」って人、すっっっごく多いよなぁ。って。
やりたいことがない人は、何を”やりたくないか”考えれば?
とか思ってしまう。
あと、私がもらったとてもいいアドバイスは、「長く続けてることって、本当は好きなことだし、やりたいことだったりするんじゃない」って言葉。それも一理ある。
私はわりと長いインターンでテレアポが苦手だと分かったし、英語で仕事するのは苦じゃないと分かったし、大きな組織の一部は何だか居心地が悪くて息苦しいなと思った。
何かしらやると、「あ、これあかん」か「あ、なんかいいかも」のどっちかの判断が下せるから良い。その勘を、私は結構な確率で信じるので、(これも悪い癖かもしれないけれど)その後は、自分で組み立てた基準に従うだけだ。簡単カンタン。
やりたいことはあるけど、踏み出せない人
も、いたりする。前者よりは少ないけど。
そういう人は、実はその「やりたいこと」は「心からのやりたいこと」ではなかったorきっかけを他人に求めているのどちらかが多い。
今すぐにでも踏み出せないんなら、それは別にやりたいことじゃないんじゃない?とか。「今じゃない」言い訳作っちゃうくらい弱い気持ちなら、それはあなたの実現させたい未来じゃないんじゃない?とか、思う。
他人にきっかけを作って欲しい人は、頑張って他人に頼るプロになるか、自分で切り開いていく覚悟をハラで決めるか、だと思うんですよねぇ。
「やりたいことがない」ことが正義
「やりたいことないんだよね、」
みたいな話をされると、「そそそそそうか、へぇー」くらいしか言えない私。
なぜあなたに「やりたいこと」がないのか、なぜ私が「やりたいこと」を見つけられたのか。それは一対一でしっかり話さないと分からないことだし、正直そこまで深く考えてやろうと思ってない(ごめん)。
そういう人は、「やりたいことないんだよねぇ(だから見つけたいんだよねぇ)」のパターンである。
そういう時は「とりあえず何かやってみれば?」くらいしか言えない。本当。
「私もやりたいことなんてねぇよ!」みたいに言っとけば、「だよな!」みたいな流れになっていくことは多いです。みんな不安なのです。
やりたいことがないって、別に恥ずべき事でもないでしょう。
人間誰もが憧れ通りに「やりたいことを自ら発見し、その目標に向かって突き進む」みたいな人生じゃなくてもいいんじゃないのかな。
やりたいことがないならないなりに、フラフラする時間も必要で。そんな血眼になって探しても、意外と近くにあったりもするから。
学生時代にやりたいことが見つからないと、正直焦ると思う。スゴイ人なんてたーくさんいるから。そういう人たちに、置いていかれた気になっちゃうから。
でも私は、大丈夫だって思える。たくさんの社会人と話していて、やっぱり素敵な大人は確かにいる。
あなたの人生を、やりたいことを、応援してくれる環境は必ずある。命があれば、あなたは、私は、自分で人生を描くことが出来る。誰かに描かれたものじゃなくて、自分で考えて、手を動かして描ける。
少なくとも、就活生にそんな風に思わせてくれる日本社会で良かったなぁと、思うのです。
嫌なニュースばかりに目を向けると悲しくなるけれど、そんな中でも小さな幸せや進歩を、自分の中にも見つけていきたいな、と。