アンダルシアの犬

Un Chien Andalou

「居場所」という勘違い


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居場所という言葉は便利だけど、実体がなくてふわふわしていると思う。英訳もしづらいから、本当に日本語独特の響きがある。

 

 

 

高校生の居場所づくり、居場所がない、居場所が欲しい、居場所事業、とか、”居場所”という言葉がごく自然に、日常に溢れている。とても複雑だけど、居場所とは「ここにいていいんだな」と思える空間や人のこと、と私は理解している。

 

 

 

Wikipwdiaによれば、このような定義がある。

居場所(いばしょ)とは、居るところ、また、座るところのことであり、自分が存在する場所のことである。 自分の持っている能力を一番発揮できる分野を指すこともある。 

 

 

ふむふむ。確かにそんなもののような気もする。居場所って聞くと無条件にポジティブな感じがするし、私だって居場所が欲しいなとか思う。

 

 

 

でも考えてみれば、居場所が欲しいってなんかおかしくないか?とも思う。というのも、もともと「自分が存在する場所」は担保されているにも関わらず、それでもなお「居場所」という言葉を使って、精神的に存在してもいい場所を求めているということになるのだ。この歌詞が頭を過ぎる。

 

 

 

心臓が始まった時 嫌でも人は場所を取る

奪われないように 守り続けてる

BUMP OF CHICKEN「カルマ」) 

 

 

 

そう、生まれ落ちた時から「居る場所」をとって当たり前なのだ。3人がけのソファに1人が座ったら、残りは2人分のスペースしかない。地球という場所(スペース)に「居る」=「存在する」のが人間であり、人間が知覚できる万物だろう。

 

 

 

でも私たちは、それだけじゃ満足できない。

 

 

 

「居る」のは当たり前で、「居る」からこそ思い悩み、苦しみ、そして精神的な”居場所”を求めるようになる。物質的な居場所と、精神的な居場所が確立して、ようやく幸福とか”生きてる”実感を得られるのだけど、もう少し物質的な「居場所」に目を向けてもいいかも知れない。

 

 

 

居場所ってなんだろう。言葉だけ見ると、縁側で暖かい陽が射していて〜、あはは素敵〜!ぽかぽか!みたいな風景が思い浮かぶけれど、きっとそんなベタなものではない。

 

 

 

「ここにいていいんだな」と誰もが思いたいはずの世の中で、否定されているという感じることもあるだろうし、逆に誰かを拒絶することで自分の輪郭がはっきりする幻想を抱くこともある。どっちにしろ、人は居場所を取るのだ。ソファの真横に座ってる人がどんな人か、気にならない人はいないだろう。

 

 

 

「ここにいていいのかも知れない」。

それがたとえ勘違いだとしても、勘違いじゃないとしても、その「かも知れない」の感覚。そんなほんのりとした柔らかい仮説みたいなものが、「居場所」なんかなと私は思う。


あなたとの出会いにありがとう。またいつか。