日々のブログ

Un Chien Andalou

「デザイン」って言えばなんでもかんでもカッコ良く見えてしまう病


デザインを勉強したいなぁと思い始めて早1年を超えました。去年の夏は、就職先どうこうでまだ迷いがあった。今思うと、本当に素晴らしい出会いがあって、充実した日々だったなぁと感じる。

 

 

 

で、とにかく私は就職先を決めるとき、「デザイナーになりたいかもな」と考えていた。

 

 

 

自分が共感するブランドや組織を広める仕事がしたい。ユーザーや社会に伝える手段の中で、一番重要なのはビジュアルではないか?と考えたからである。うーん、今こう書くと腑に落ちるけど、当時はよく分からなかったなと思う。20年そこそこ生きて、私の自己分析力なんてそんなもんでした。

 

 

 

さて、とにかく大学は普通の文系だったけど、就活あたりかたら特にデザインを勉強したくなってしまった。でも家族のこともあり、進学ではなく就職を決めた。「大人になってからも、学び続けることはできる。」と力強く教えてくれた人がいたから。

 

 

 

彼に背中を押され、私は社会に出てから学び直すことを決めた。正確には、社会に出てしばらくしても、それでも学びたい思いがあるのなら、自分の心に従ってちゃんと学ぼうと決めたのだ。

 

 

 

デッドラインは2019年12月31日。この日までデザインを学びたい気持ちが強くあるのなら、次の一手をしたたかに考えていくことにしている。私の中の、ひとり約束みたいなものだ。

 

 

 

そんなわけで、日々「私って本当にデザイン勉強したいのかなぁ」とか、「なんでデザイン勉強したいのかなぁ」とかを考えている。

 

 

 

「学校行かなくてもデザイナーになれるよ」「そもそも大金出さないと学べないのはおかしい」「今の時代、iPad Proあるならインスタに投稿して独立すれば?」…いろんなアドバイスを貰った。

 

 

 

そのどれもが、多少なりとも納得感のあるものだったから、余計に悩んでしまった。

 

 

 

デザイナーに、なりたいのか。デザイナーに指示を出すまでのマーケティング的な上流を、担いたいのか。あるいは全部自分一人でやりたいのか。今でもハッキリした答えは見つかっていない。

 

 

 

「デザイン」という言葉は、近年あまりに溢れかえっている。グラフィックデザインマーケティングデザイン、コミュニティデザイン、デザイン経営、文章のデザイン、家族のデザイン、終わり方のデザイン、ソーシャルデザイン…。

 

 

 

もう、何が何だかわからない笑。デザインって、なんだそれ。もうよくわからないよ。言葉だけが一人歩きして、だんだん走りだしてスキップまでしてるのに、私はどうしても付いて行けなくなってしまった。そんな感じだ。

 

 

 

そして、そのことにみんな薄々気づいている。「"デザイン"って言葉、増えたよな」と思ってる。でも、もうどうすることもできない。走りだしたデザインを誰も止められない。

 

 

 

私が学びたいのは、何のデザインなのか?そもそもデザインとは何か?誰のためのデザインか?

 

 

 

やはりこれらの答えを探すために、もう少し時間が必要かもしれない。焦らないで行こう、道はきっと続いている。


あなたとの出会いにありがとう。またいつか。