ことばに咲く。

色々模索しながら生きてます




「これからは個人で稼ぐ時代だぜ、ウオオォ!」みたいな雰囲気と、「これからはグローバルな時代だぜ、ウオオォ!」みたいな雰囲気が激似な件


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ブログは個人の意見を自由に述べる場から、稼ぐための道具に変容してきたように感じる。

 

 

 

"ブログ始めて○○日で○○円達成!ありがとうございます!"みたいなのも見かけるし、"ブログは稼げるぜ"みたいな勧誘も多い。

 

 

 

かくゆう私もブログで稼ぐことを経験したわけだけど、そこまで興味が惹かれるものがなかった。ただ言えることは、努力すればまぁ一応稼げなくはないということ。

 

 

 

ブログよりも質が高く、提供される情報に信頼性が増すnote、個人がスキルを売り買いするココナラ、ハンドメイド作品のやり取りをするminne、オンラインフリーマーケットのメルカリ。

その他にも、この「個人で稼ぐ」コミュニティを生み出すサービスはたくさんある。

 

 

 

いやー、本当に増えましたよね。けどなんか、ウザいくらいに「CtoC!CtoC!」「え、まだ個人の収入源ないの?」「ワレハネテイルアイダニ10万ヲカセイダノダ」みたいな声も増えてきて、ちょっと面倒くさくなってきたな…とも、感じたりする。

 

 

 

個人で稼ぐことを否定はしていないし、やっぱりそれなりの努力がないと成せないことだから、凄いとも思う。個人で稼いだお金で、やりたい事を思いっきりやれる人生、素敵だと思います。

でもこの雰囲気ってどこかで経験したような…と考えてたんですよね。

 

 

 

これだ。グローバル化万歳。

 

遡ること4~5年だろうか。自分が進学する大学を決めていたころ。これまたウザいくらいに、「これからはグローバル化の時代です」と説明された。

 

 

 

「○○グローバル学部新設!」みたいなのも流行っていたし、「英語大事だよね!」みたいな雰囲気もあった。特に自分は文系だったから、そうなのだろうけど。

 

 

 

あっち行ってもこっち行っても、「グローバル化」である。もう分かった、分かったからやめてくれ…落ち着いてくれ…というくらいには。

 

 

 

グローバル化=英語、という非常に簡単で何の脈絡も根拠もない不思議な方程式が成り立っており、どこへ行っても私大の文系は、だいたい英語を重視していた。「英語が出来ればグローバル人材というわけではないのだけど、まぁでもとりあえず英語やって損はないよね」というような感じである。

 

 

 

英語はグローバル人材にとって必要条件であっても、十分条件ではない。でもまぁ、英語出来ればなんとなくグローバルっぽいから良いのだ。それで。

 

 

 

そんな感じの説明を受けるから、「ふぅーん、そんなもんか」と思って多くの学生が”グローバル人材”を目指した。頑張れば英語は喋れるようになるし、大学へ行ける恵まれた我々は、留学生と接するきっかけもある。留学も頑張れば行ける。海外インターンも行ける、海外ボランティアも行ける。

 

 

 

だけど気付けば、グローバル化は正義ではなくなってきていた。

 

 

 

トランプ政権誕生に象徴されるように、グローバル化が生んだ弊害がクローズアップされるようになったのだ。

要は、国境を越えてやり取りし過ぎて(国外と取引し過ぎて)、国内のマーケットが縮小するやんか!という中流階級が反発し始めた。もちろん、トランプ大統領の誕生にはその他の要因はあるのだろうけれど、”反グローバル”の影響は大きいのだと思われる。

 

 

 

政治でグローバル化が批判されるからといって、個人間での国境を越えたコミュニケーションを否定することなんてない。でも、だんだん「グローバル化」なんて言葉にすがってるのは陳腐だよな、的な雰囲気にシフトしてきた。

 

 

 

グローバル化なんて、別に新しくないし~?」

 

そして最近になってみれば、「”グローバル化”なんて言うけど、大昔からとっくにグローバル化だわ!」という声も聞こえてくる。海外との取引が始まったのは確かに昔からだろうけど、我々が聞いていたあの『新時代到来』の響きとだいぶ違うやんか…。と思う。あとは、”グローカル”とかいろいろ言葉は作られたけど、ここでは割愛する。

 

 

 

「新しい時代が来る!」と言われて「はいはい、準備しますよ。時代に乗りますよ」と色々やってたら、気付けば「新しい時代なんてクソくらえ!」のような雰囲気になってきて「おや…?」となっている。

 

 

 

時代は読むのも乗るのも、創るのも難しいのだ。でもボーっとしていても進んでいくから嫌になる。

 

 

 

「個人で稼ぐ」ことの弊害

 

ここで言えることは、何事にも良い面と悪い面があるということだけ。グローバル化も良い面と悪い面の両方があって然りなのだ。

 

 

 

ただ、個人で稼ぐことで発生する弊害は、今はほとんど可視化されていないように思う。気のせいかな。私の頭がお花畑なだけだろうか…。

 

 

 

「俺は会社なんかに頼らないぜ!」と、全ての人が個人間でやり取りするようになれば(これは行き過ぎた例だけど)、企業の力が弱くなる。先人たちが作ってきたブランドはどこかへ飛んでいき、新しく「世界でも注目される日本人」にお金や注目が注がれるようになる。

 

 

 

うーん、まぁ一部の企業が大きくてたくさんお金もらえるのも一握り、という昔からの風習と、一部の人が個人で人気が高くてお金を稼げている状態、どちらも、やっぱ結局は同じではないだろうか。現段階では、多くの人に「稼ぐ機会が提供されている」だけで、多くの人が「稼げている」状態ではないから。

 

 

 

さらに言えば、個人間の取引なんて、めっちゃくそ古代的よね。もともと物々交換だった時代から、個人間でやり取りしていたわけで。そんなところも、「グローバル化なんて新しくもなんともない」という意見と似ているような気がするのだ。

 

 

 

努力の仕方、世渡りの仕方が違ってきただけで、やっぱり本質は、結局なーんにも変わっていないように思う。

それは、きっと多くのことに当てはまるのだろう。