アンダルシアの犬

Un Chien Andalou

「将来の夢」を描きなおすということ


最近とても怖いことがある。

 

 

 

今がもう既に、幼い頃に思い描いた「将来」なのだということ。それが、私はとても恐ろしく感じられる。

 

 

 

今の自分と、昔描いた自分とのギャップに驚いている。そして今からまた描き直さなくてはならない「将来」が不確かで不安だという感覚

 

 

 

ヘタクソな絵を描いても、幼い頃はそれでも許された。だけど今は、周りの上手な絵が嫌によく見えてしまって、ヘタクソな絵を思いっきり描けなくなった。そんな感じだ。

 

 

 

私は、幼い頃から夢がなかった。「お花屋さん」も「ケーキ屋さん」も「スポーツ選手」も、何もかもが違う気がして、でも周りのように夢を語れないのが悲しくて、とても辛かった。

 

 

 

自分は「何屋さん」になるかは分からないけれど、いつかちゃあんと夢を見つけてやる!と意気込んでいた。それが私の幼少時代だ。

 

 

 

「大人になったら、こうしたい」。私はもう、憧れの感覚ではなく、現実的かつ合理的に考えなくてはならない。いや、考えざるを得ないのだ。もうとっくに、成長してしまっているのだから。

 

 

 

いくら突拍子も無いことを思いついても、「実際お金が…」とか「時間が…」とか「それ本当にやりたいことなのか?」とか考えたら、どうしてもストップがかかってしまう。

 

 

 

別にそれが悪いこととは言わない。自分でコントロール出来るものではなく、どうしてもそうなってしまうのだ。

 

 

 

あー、もう、子どもではいられない。

子どもでいられないなら、夢を描けないのだろうか?

 

 

 

きっと、多くの人がそんな事はないと考えるだろう。たしかに私たちの思考はどこまでも自由で、誰にも邪魔などできない。

 

 

 

それに私はもう、「お花屋さん」になれない自分に悲しむことはないのだ。それは喜ばしいことのようだけど、そう形容するのは何かが違う感じがする。

 

 

 

これが大人になるということ、なんて、その一言で終わらせたくない。言葉は無力だ。無力だけど、あぁ言葉があって、私は今日もこうして救われている。ただそれだけが確かだと思った。


あなたとの出会いにありがとう。またいつか。