日々のブログ

Un Chien Andalou

興味はナマモノだから冷蔵庫に入れとけ


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暑過ぎて冷蔵庫を開けるたびに「幸せ~~」ってなる季節ですね。

「暑いですねぇ〜!」が挨拶ですよ2018夏。記録的猛暑!って毎年言うよね。あれは何なの?地球寒冷化はどうしちゃったの?!という感じですまったく。

 

 

 

 

そんな感じで夏休みなんですが、夏休みというと思いだすのが小学校のころの夏休み。あの宝石みたいにキラキラした眩しくて高揚して仕方がなかった日々も遠い昔のことのようです。

 

 

 

皆さんは小学校の頃、好奇心旺盛な子どもでしたか?

 

 

 

私はどっちかというと今も昔もインドア派なので、虫採りとかサッカーとか野球とかはせず、絵を描いたりおままごとしたり、わりと女の子女の子してました。

シルバニアとかね。分かるかな、シルバニア…。今も実家のロッカーにあるんですよ、あのうさぎさんたち。

 

 

 

でも小学校の頃の自分はひねくれてて、「毎日つまんねーなー」と思っていました。高校生になるまで、夢もなかったです。

 

 

 

「ケーキ屋さんになりたいの」「お花やさんになる!」「先生になるんだ」ってみんなが夢を語っている中、私は1人「どうしよう…職業なんて10コくらいしか知らんけど、そこから選ぶなんてマジ無理」とか思ってました。

 

 

 

好奇心なんて殆ど持ってない冷めた子どもでした。親は共働きで家にいないから帰ってきても暇で、料理したりパソコンしたり、野良猫にエサあげたりしました。超地味!!!!!!やる事ないんだもんだって!!!!!

 

 

 

そういう意味では、私の場合、今の方が子どもの頃より圧倒的に好奇心旺盛な人間になっています。大人になるにつれて色んなことに興味を持つようになっています。なんでだろう、不思議だ。

 

 

 

今関心あることをざっと並べると…

ソーシャルデザイン、コミュニティ・グラフィック・コミュニティデザイン、Tak ram、地方創生、建築、安藤忠雄、美術、広告、版画、コピーライティング、AI、RPA、VR、海外文学、海外ドラマ、podcast、Tesla、宇宙開発、環境問題、絶滅危惧種、包装紙削減問題、哲学、ガブマル、V系音楽、洋楽、夏フェス、ジャズ、C言語、WEBメディア、プログラミング教育、ホリエモンの学校、polca、チェコカフカゲーデルエッシャーバッハ、ミュシャフェルメール、教会、聖書、HBO、GOT、美容、肌断食、とかとかとか…!

 

 

 

これプラス時事的なアンテナを張ってたりすると、毎日何かしら「ピコーン!」てなります。日々アップデートしてるので、それぞれのイベントとか動向を追うのが楽しい。わくわくする。

 

 

 

そして自分と全く違う分野の人の話を聞くのもすっごく楽しいです。私大文系なので、理系の人とか専門学校の人とか、NPO職員とか海外駐在員とか、とにかく自分と違う立場の人たちと話をすることが大好き。

 

 

 

なんでこんな好奇心旺盛になったのか、理由は良くわかってないのだけど、でも良い意味で放置されていた幼少期の影響かも知れないと思っています。

 

 

 

マジでほっとかれてたから、"毎日を自分で面白くしていくしかない"と思うようになっていったんですね。普通にしてたらつまらなくて死んでしまうわ、と。習い事も自己責任で、「やりたい!」って言わないとやらせてくれませんでした。

 

 

 

放っておいてもなーんも楽しくないから、自分で調べるっていう積極性は身に付いたはずだと思っています。時代も手伝って、なんでも調べたら出てきますから。疑問に思ったこと、全部PCで調べて、そこから興味を引き出していくのが当たり前でした。

 

 

 

PCだから悪いとか、そういうことはもちろんないと思っています。むしろそのお陰でブラインドタッチは当たり前だし、デジタルネイティブと言われてもまぁそうかと思える。色んなことに手を出して、触れて、考えて、想像して、言葉にして、また次のステージへ立ってみるというようなことを自然と出来るようになった気がしています。放置してくれてありがとう両親。過保護過ぎると親の影響が大きくて子どもの自主性は損なわれるのかもなぁ。

 

 

 

ただ最近感じるのは、その興味は放っておくとすぐに消え去るということ

 

 

 

調べれば何でも出てくるって、見方を変えると恐ろしいことで。例えば昔はたった1冊の本を手に入れることも難しくて、思いを馳せたり人に聞いたり言葉の意味を反芻したりしていたはずなんだけど、今はもうそんなことをしなくても十分分かった気になれる。

 

 

 

腰を据えて考える時間とか、「何でだろう?」って気持ちを持ち続けるのが難しいんだと思います。

ほら、今はLINEとかInstagramのストーリーとかで好きな人と繋がれるけどさ。昔は手紙が来ただけで、少しすれ違っただけで、パーティーで見かけただけで「キャーーー!」ってしてたはずで。でも私たちはもうそんな「キャーーー!」な感情は持てないんだよ。なんかちょっと悲しいような気もする。うん。

 

 

 

鷲田清一さんとかは、『「待つ」ということ』という著書の中で同じようなことを書いています。"現代人は、待つ事ができない"って。

「待つ」ということ (角川選書)

「待つ」ということ (角川選書)

 

 

 

何でもかんでもググってしまう。自分の目で見なくたって、誰かの「いいね」がたくさんついたツイートで満足しちゃう。

本なんて読まなくたって、YouTube見た方が早い。

サジェストしてどんどん見せてくれるから、買い物だって深く考えなくても問題ない。

インフルエンサーが言ってることの方が説得力あるし。著名な人が書いた論文にも簡単にアクセスできる。

 

 

 

そりゃ、そうだよな〜〜〜~~~!

だって楽だし/(^o^)\

 

 

 

楽なんだけど、それだと薄っぺらい思考になるのは避けられない気がしています。事象の背景や主張の裏にある意図とか、1つのフレームの中でしか語られてないものを真に受けることは、考えることを放棄していることだと思う。

 

 

 

なのでやっぱり、その興味を持ち続けること、言い換えると一度検索しただけじゃ満足しないレベルの探究心を持つことは大事だと思う。

 

 

 

それは何もクソ難しいものではなくて、例えば読みたい本を記録しておくとか、スケジュール帳に書き込んどくとか、そういうことから始まると思う。今の新鮮な気持ちを、ずっと忘れないでいることなんて無理。だけど戻ってこれる引っかかりを作っておきたい。

 

 

 

被災地への対応とも似ているかも知れない。

家族とか友人がいない限り、被災地に対して毎日想いを馳せることなんてしない、というか無理だ。でも、たとえ心に受けた衝撃を毎日は思い返さなくても、その時の感情を思い起こす作業を、1年に何回かはしてみる。

「忘れない」って、四六時中そのことばかり考えるんじゃなくて、ちゃんと興味を保存して置けること。信念をもって無関心になることを拒絶すること。そういうことだろう。

 

 

 

忘れないこと、待ってみること。

これって難しいんだよなぁ。でも大事にしたいなぁと思う今日この頃です。

 

 

 

とにかく、興味はあなたの中の冷蔵庫にちゃんと入れときましょう。暑さにやられて、崩れてどろどろになって、気付かないうちに消えてなくなる前に。


あなたとの出会いにありがとう。またいつか。