【本気】女子大生が、出会ってよかった素敵なWebメディアをまとめたら
情報をどこから仕入れるかで、その人が形成されると言っても過言ではないと思う。世界を狭めることも、広げることも出来るのが、情報源。
で、やっぱ今は情報=(ほぼほぼイコール)インターネットだ。
デジタルネイティブとかなんだか言われるけど、とにかく生まれたときからあるものに親和性が高いのは普通ですよね。きっと今生まれている子たちはもっと先のテクノロジーにも余裕で速慣れるだろう。おそろし。
今回はこれまで20数年生きてきて中で出会ってよかったWebメディアをまとめます。ほぼ自分用。見ていて面白いかは…わからん。でも20代女子の情報源の一例にはなるのかな。
キュレーションとか、そのへんも入ってます。そのあたりの違いとか、知識ないんでごちゃ混ぜです。
これが今後、30代、40代とどう変わっていくのかなぁ~と期待もしてます。わくわく
もくじ
Greenz.jp
だいすきグリーンズ。
いきなり斜め上からって感じですが、もう好きなんですグリーンズが。「ほしい未来は、つくろう。」もうこのコピーだけで「あぁぁぁーーーー………」ってなる。内容もデザインも素敵。早くGreenz peopleになりたい。なるわ。
コンセプトも、そこにしかないコミュニティ感も、編集もすごく好き。ふとしたときに読みたくなる。それがグリーンズ。
News Picks
突然のNews Picks。
これはもう定番。みんなこれ見てるでしょ(たぶん)。新聞とか読むよりこれだなぁ~と思う。みんなの意見とか見れるし。まとめ方とかも上手いなと思う。若者に好かれそうな関じ。
News Picksアカデミアとかもあって、学生向けコンテンツも配信してますよね。すぐ有料版にもっていこうとする感じは、「く、これが現実か…タダより高い物はない…」と思うとこだけど、仕方ない。何に金掛けるかは自分次第ね。
cakes(ケイクス)
読んじゃうよね、cakes。1回だけ無料期間から解除し忘れて課金したけど、結構読み倒したから満足。今でも無料のやつ読んでます。
ライトな雰囲気とエンタメ感がいい。左利きのエレンもいい。
Naverまとめ
説明は、不要かな…。定番。
友達との会話に便利です。「Naverまとめにあったよ~」とか。この街の美味しいお店どこかないかな~ってなったときとか、食べログRettyもあるけど、なんだかんだまとめサイトみちゃう。便利。週に1回は見ときたい。
She is(シーイズ)
これは…もう…「こういうの欲しかった…!!」って感じ。MERYとか女の子女の子してるのもいいんだけど、なんか違うんだよなぁみたいな人は見るべき。
モノの物販とメディアを組み合わせているCINRAさんらしいメディア。好きですCINRA。
大人の女性、かっこいいーーーーってなるし、かっこ悪くてもいいんだーーーーーってなるメディア。
soar(ソア)
だいすきsoar。
なんて素敵なんだろうと思う。不安とか悩みとか、モヤモヤしてるときに読む心のビタミン。自分の生き方でも、きっと大丈夫と思えるメディアです。
UIもすき。
AM(アム)
読んじゃう~!って感じ。恋愛モノはやっぱり楽しい。自然とタブーみたいになってるセックスの話題とかもあっていい。もうはっきり言えよ!みたいなとこはっきり言ってるのがね、ステキ。
恋の悩みは尽きないねぇ…。
やる気あり美
はい、きたー。
「世の中とLGBTのグッとくる接点をもっと」というコンセプトがまずいい。内容も面白い。LGBTとか、まいのりてぃーとか、どーのこーの言ってると、頭痛くなってきちゃいませんか?そんなこと置いといて、とりあえずこんな人たちもいるんだぜ、みたいな感じが良い。
いや、ほんとクスッてなる内容ばっかりだからみんな見てお願い。
おわり
か、かたよっている・・・・!
でも実際こんな感じ。 他にももちろんメディアは知ってるけど、「心打たれた!」とか「日常でふと見ちゃう!」とかは、ないかなぁ…。
きっともっとたくさん、良い情報原はあるはず。これからも探すぞーーーーーーー!わくわく
「これからは個人で稼ぐ時代だぜ、ウオオォ!」みたいな雰囲気と、「これからはグローバルな時代だぜ、ウオオォ!」みたいな雰囲気が激似な件
ブログは個人の意見を自由に述べる場から、稼ぐための道具に変容してきたように感じる。
"ブログ始めて○○日で○○円達成!ありがとうございます!"みたいなのも見かけるし、"ブログは稼げるぜ"みたいな勧誘も多い。
かくゆう私もブログで稼ぐことを経験したわけだけど、そこまで興味が惹かれるものがなかった。ただ言えることは、努力すればまぁ一応稼げなくはないということ。
ブログよりも質が高く、提供される情報に信頼性が増すnote、個人がスキルを売り買いするココナラ、ハンドメイド作品のやり取りをするminne、オンラインフリーマーケットのメルカリ。
その他にも、この「個人で稼ぐ」コミュニティを生み出すサービスはたくさんある。
いやー、本当に増えましたよね。けどなんか、ウザいくらいに「CtoC!CtoC!」「え、まだ個人の収入源ないの?」「ワレハネテイルアイダニ10万ヲカセイダノダ」みたいな声も増えてきて、ちょっと面倒くさくなってきたな…とも、感じたりする。
個人で稼ぐことを否定はしていないし、やっぱりそれなりの努力がないと成せないことだから、凄いとも思う。個人で稼いだお金で、やりたい事を思いっきりやれる人生、素敵だと思います。
でもこの雰囲気ってどこかで経験したような…と考えてたんですよね。
これだ。グローバル化万歳。
遡ること4~5年だろうか。自分が進学する大学を決めていたころ。これまたウザいくらいに、「これからはグローバル化の時代です」と説明された。
「○○グローバル学部新設!」みたいなのも流行っていたし、「英語大事だよね!」みたいな雰囲気もあった。特に自分は文系だったから、そうなのだろうけど。
あっち行ってもこっち行っても、「グローバル化」である。もう分かった、分かったからやめてくれ…落ち着いてくれ…というくらいには。
グローバル化=英語、という非常に簡単で何の脈絡も根拠もない不思議な方程式が成り立っており、どこへ行っても私大の文系は、だいたい英語を重視していた。「英語が出来ればグローバル人材というわけではないのだけど、まぁでもとりあえず英語やって損はないよね」というような感じである。
英語はグローバル人材にとって必要条件であっても、十分条件ではない。でもまぁ、英語出来ればなんとなくグローバルっぽいから良いのだ。それで。
そんな感じの説明を受けるから、「ふぅーん、そんなもんか」と思って多くの学生が”グローバル人材”を目指した。頑張れば英語は喋れるようになるし、大学へ行ける恵まれた我々は、留学生と接するきっかけもある。留学も頑張れば行ける。海外インターンも行ける、海外ボランティアも行ける。
だけど気付けば、グローバル化は正義ではなくなってきていた。
トランプ政権誕生に象徴されるように、グローバル化が生んだ弊害がクローズアップされるようになったのだ。
要は、国境を越えてやり取りし過ぎて(国外と取引し過ぎて)、国内のマーケットが縮小するやんか!という中流階級が反発し始めた。もちろん、トランプ大統領の誕生にはその他の要因はあるのだろうけれど、”反グローバル”の影響は大きいのだと思われる。
政治でグローバル化が批判されるからといって、個人間での国境を越えたコミュニケーションを否定することなんてない。でも、だんだん「グローバル化」なんて言葉にすがってるのは陳腐だよな、的な雰囲気にシフトしてきた。
「グローバル化なんて、別に新しくないし~?」
そして最近になってみれば、「”グローバル化”なんて言うけど、大昔からとっくにグローバル化だわ!」という声も聞こえてくる。海外との取引が始まったのは確かに昔からだろうけど、我々が聞いていたあの『新時代到来』の響きとだいぶ違うやんか…。と思う。あとは、”グローカル”とかいろいろ言葉は作られたけど、ここでは割愛する。
「新しい時代が来る!」と言われて「はいはい、準備しますよ。時代に乗りますよ」と色々やってたら、気付けば「新しい時代なんてクソくらえ!」のような雰囲気になってきて「おや…?」となっている。
時代は読むのも乗るのも、創るのも難しいのだ。でもボーっとしていても進んでいくから嫌になる。
「個人で稼ぐ」ことの弊害
ここで言えることは、何事にも良い面と悪い面があるということだけ。グローバル化も良い面と悪い面の両方があって然りなのだ。
ただ、個人で稼ぐことで発生する弊害は、今はほとんど可視化されていないように思う。気のせいかな。私の頭がお花畑なだけだろうか…。
「俺は会社なんかに頼らないぜ!」と、全ての人が個人間でやり取りするようになれば(これは行き過ぎた例だけど)、企業の力が弱くなる。先人たちが作ってきたブランドはどこかへ飛んでいき、新しく「世界でも注目される日本人」にお金や注目が注がれるようになる。
うーん、まぁ一部の企業が大きくてたくさんお金もらえるのも一握り、という昔からの風習と、一部の人が個人で人気が高くてお金を稼げている状態、どちらも、やっぱ結局は同じではないだろうか。現段階では、多くの人に「稼ぐ機会が提供されている」だけで、多くの人が「稼げている」状態ではないから。
さらに言えば、個人間の取引なんて、めっちゃくそ古代的よね。もともと物々交換だった時代から、個人間でやり取りしていたわけで。そんなところも、「グローバル化なんて新しくもなんともない」という意見と似ているような気がするのだ。
努力の仕方、世渡りの仕方が違ってきただけで、やっぱり本質は、結局なーんにも変わっていないように思う。
それは、きっと多くのことに当てはまるのだろう。
人より少しだけ早い、親の「老い」や「死」との向き合い方
私の父は今年の3月、正式に退職をした。つまりずっと、父が家にいる生活が始まったのだ。
高校生くらいからじわじわと感じていた両親の「老い」が、少しずつ少しずつ大きくなって、膨らんできてしまった。いわゆるボケの始まりだった。
母がお昼を用意していても、お昼ごはんを買って来る。「お風呂入ったの?」と風呂上がりの私に声を掛けてくる。「明日の天気は?」と、天気予報を毎日見ても聞いてくる。ごはんを食べたことを忘れて、また食べる。ひとりごとが増える。毎日毎日、よくそんなに寝れるな、というくらい寝ている。
ああ。
もう「そういう段階」なんだって。思っていた以上に、それまで考えていた以上に、その状態が苦しくて悲しくて、涙が止まらない。涙と頬と、胸のあたりが熱くなった。
そんな父の状態をショックに感じているのは母も同じだった。でも母の場合、怒り、イライラという形で表れている。
「なんでこんなことも出来ないんだろ」と、まるで子どもに対して言うみたいだ。そんな母を見て、ますます胸の奥から痛みが広がっていく。
わたしの家族
両親は高齢出産だった。
一人流産したという話があるから、高齢になってしまったのも仕方がないのだろう。流産してなかったら、私は生まれなかったのかも知れない。
我が家は4人家族だ。
今年で姉は27歳、私は22歳になる。そして父は68歳、母は63歳。私を生んだ歳の両親の年齢は、父が46歳、母が41歳だ。
父は65歳で定年退職をして、その後も今年の3月まで働いていた。母はパートで今も働いている。私の学費のためだった。そんなことするくらいなら奨学金でもいいのに、両親は私に借金を背負わせないために、働いた。
自分の親が高齢だということは、昔はそこまで気にならなかった。確かに、周りのお母さんが美人だったり、お父さんが若かったりして羨ましかったけど、私は母も父も尊敬していたから、大丈夫だと思えた。気になった時期があっても、すぐに忘れるくらいには。
親が「うちの子なんて」というように、子どもも「うちのお母さんなんて」みたいな話をしたりする。「うちのお母さんは、もうおばさんだから!」みたいな話も、周りは良くしていた。私はそういう声を聞くたびに、なんだか悲しくなった。じゃあうちのお母さんはおばあちゃんか、って。結局は、気にしていたのだろう。
親の「老い」を強く感じるようになったのは、大学生になってからかも知れない。両親に海外旅行券をプレゼントしようと姉と企画すれば、もう65歳以上の飛行機は危険かも知れないと思い至る。旅行へ行くと両親の仲が悪くなることも、よく分かっていたのでナシになった。
そして父の定年、という言葉にハッとした。しかも定年を過ぎてまで働いていたから、本当はもうボロボロだったのかも知れない。父は捨てられて、15歳から働いていたから。本当に、仕事と家族のために生きていたのだろう。
社会へ出る者、社会から出た者
私はこれから社会へ出ていくけれど、両親は引退する組だ。
祖父母はもういないし、父の実家はないし、母の実家も離れている。私たち姉妹は両親をどう支えればいいか考えなければならない。
周りの家族は、50代の親が多くて羨ましく思えた。
だんだん弱っていく姿とか、以前から知っている「その人」が少しずつ別人みたいに変わっていく姿を、まだ見なくて済む。
何より、"変わってしまった姿"を、まだ見なくて済むんだ。
やっぱり周りと比較してしまうのは昔から変わっていない。
もちろん、世の中には親がいない人だって、もう親を亡くしてしまった人だっている。でも、こうやって「老い」が家族を侵食していくケースの方が多いのではないかと思う。
どうやって向き合えばいいんだろう。
姉は1人暮らしをしている。私はこの家を出たい。来年は出るだろう。
でも、ますます不安になっていく。今は現実から目を背けて、離れたい気持ちが強いけど。きっと何年か経てば、新しい痛みがやってくる。今度はもっと、もっと抉るような痛みが。
社会に出ることへの期待感だけ持って、未来への希望や夢を語り合って、他のことは何も気にしないような、そんな社会人になりたかった。
でも現実は、やっぱり上手くいかない。
まだしばらくは、泣いたり笑ったりしながら「老い」や「死」との向き合い方を探すことになるだろう。